2022年07月23日

高崎唱歌散歩-2番 まだまだ続く♪水道や・・・

水道の話、続きます。

明治三十三年(1900)初代高崎市長になった矢島八郎は、水道敷設こそ最も大きく、最も急を要する事業として取り組むこととしました。
就任翌年、県の技師や土木工手に委嘱し、3つの水源候補地の検討が始まります。
「高崎市水道誌」で見てみます。
1. 群馬郡片岡村大字清水観音山渓谷に堰堤を築き、貯水池及び濾過池をつくり、鉄管により自然流下で送水する。
2. 碓氷郡里見村大字上里見字上山(神山?)町春日堰上に引入口を取り、掘鑿して八幡村大字剣崎村剣崎山頂に送水する。
3. 碓氷郡礒部村大字中礒部村諏訪神社裏手に引入口を取り、山腹に沿って群馬郡片岡村大字乗附村に送水する。

検討の結果、第二案の上里見春日堰から取水し、剣崎山頂に浄水装置を設けて高崎市内に送水する路線が最適ということになり、さらに調査が続けられます。
調査は明治三十五年(1902)三月に終了し、翌三十六年四月水道調査委員により「水道敷設設計概略」が取りまとめられます。

この計画による水道敷設費は、577,755円44銭9厘と試算されています。
その費用をどう捻出しようとしたかというと、
・国庫補助申請 200,000円
・県費補助申請 100,000円
・公借金(日本勧業銀行) 270,000円
・市費負担 7,755円44銭9厘
と算段しています。

この間の県との交渉におけるエピソードが、昭和五年(1930)五月四日の「東京朝日新聞」に載っていました。
高崎唱歌散歩-2番 まだまだ続く♪水道や・・・

このような苦労をしながら国・県・勧業銀行との交渉を進め、里見村長とも本契約を締結までこぎつけたのですが、明治三十七年(1904)二月に勃発した日露戦争により、待望の水道敷設は中止のやむなきに至ってしまいます。
関係者の無念、察するに余りあります。

そして日露戦争が終わった翌年の明治三十九年(1906)、矢島八郎は市長の任期六年となり、二期目の市長再任に意欲を燃やしていました。
六月、矢島八郎は議場において、今後の高崎市が進めるべき基本方針である「市是」について大演説を行います。
その「市是」の真っ先に掲げたのが、「水道敷設」でした。
就中、水道敷設事業ノ如キハ市ノ盛衰興亡ニ関スル刻下ノ最要急務ニ属スルヲ以テ、市ハ全力ヲ集注シテ其完成ヲ速カナラシメザルベカラズ。」

二期目の市長就任を目指す矢島八郎の前に、元高崎町長を務めた生沢一太郎が名乗りを上げます。
「新編高崎市史通史編4」に、次のような話が載っています。
選挙の日が近づくと生沢は直接矢島を訪ねて、市是の十二項目は私がやり遂げるから次期市長はぜひ私にやらせて欲しいと頼んだ。
しかし、上水道を始めとする多くの継続事業を残す矢島は、生沢の申し出を拒絶、選挙は避けられない情勢となった。(略)
次期市長を選ぶ十七日の市会は、出席者二十九人、選挙の結果は第一候補に十七票の過半数を得た生沢一太郎が当選、(略)
選挙で争うと新聞に報じられた矢島前市長は、市是の直接の実行は生沢新市長に任せ、市の元老として背後で生沢市政を支える立場を選んだ。」

前市長・矢島八郎は、明治四十年(1897)四月水道敷設工事顧問に就任します。
そして、十一月三日、里見村神山の取水場予定地において起工式が執り行われました。

「工事方法書」に、取水場の仕様が示されています。
川岸に擁壁を築きて沿岸の土留となし、其中に口径一尺二寸の鋳鉄管を布し、其管頭は附するに金属製の塵芥除けを以てし、管末には制水扉を設く。
河水は自然に管内に流入して内径九尺の円井に入り、井内に於いて更に塵芥除け金網を過ぎ、導水管に入りて浄水場に流下するものとす。」

明治四十一年(1908)十一月十二日、「春日堰取水場」は竣工しました。
「高崎唱歌」がつくられたその年ですが、新しい水道が敷設されるのには、さらに二年の歳月が必要でした。
「電燈電話に水道や 文明機関備はりて」という歌詞は、完成した暁にはという大きな期待を込めたものだったんでしょうね。

現在の「春日堰頭首工(取水口)」です。
高崎唱歌散歩-2番 まだまだ続く♪水道や・・・
高崎唱歌散歩-2番 まだまだ続く♪水道や・・・

水門には「昭和二年五月 竣工里見村」と刻まれています。
高崎唱歌散歩-2番 まだまだ続く♪水道や・・・
明治のものではなかったのですね。
その頃の取水口の姿を知りたかったのですが、当時の写真を見つけることはできませんでした。

さて、この後、「春日堰取水場」から「剣崎浄水場」までの「導水管」が敷設されていったわけですが、今回もまた長くなりました。
次回に続けましょう。
終わりませんねぇ、♪水道や・・・。


【春日堰頭首工】






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この記事へのコメント
本日(2022年8月11日)
新井馬吉著「長野堰史」を概観したところ、
榛名湖の湖水を白川に流し、
烏川から長野堰に取り入れる掘削計画を
明治34年に県に申請し認められ、
明治37年に完成式典をしたとありました。
その後どのようにそしていつまで
榛名湖の水が利用されたかは分かりませんが、
明治の高崎人が榛名湖の水を長野堰に引き入れ、水量を確保しようとしたことを知りました。
Posted by いちじん  at 2022年08月11日 21:00
>いちじんさん

長野堰用水を利用している区域は広いので、用水不足で水争いがしばしば起きてたようですね。
それに対処するために榛名湖から水を引いたのですが、漏水などがあって水量はあまり増えなかったらしいです。
現在は、渇水時の補水源としていると聞いております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2022年08月12日 09:40
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