「八幡霊園」の南、「若田町住民センター」の駐車場に、「若田ヶ原古戦場」の史跡看板が建っています。
「若田原台地」は「若田支台」とも呼ばれ、「剣崎支台」「八幡支台」とともに烏川と碓氷川に挟まれた台地です。
「若田ヶ原合戦」の際、武田信玄が本陣を置いたというのが、前回の「福泉寺」でした。
寺の周辺を土地の人々は「乱闘場」と呼んでいるということでしたが、ここ「若田ヶ原」もまさに「乱闘場」だったのでしょう。
現在その一角に「八幡霊園」が造成されているというのも、何か因縁を感じさせます。
ブランコの向こうに、もうひとつ史跡看板が見えます。
看板の最後に、「弁慶が書いたと言われる額が、八幡宮参道の大鳥居に掲げられていると言います。」と、妙な言い回しで書かれていますが、実はその額は掲げられていません。
8年前は、たしかに掲げられていたんです。→◇伝者繁栄
どうしちゃったんでしょう。
「八幡八幡宮」にお聞きしたら、平成二十八年(2016)の鳥居改修の時に外し、八幡宮で保管しているとのことです。
レプリカでも掲げておけばいいのになぁ。
「若田原台地」は「若田支台」とも呼ばれ、「剣崎支台」「八幡支台」とともに烏川と碓氷川に挟まれた台地です。
「若田ヶ原合戦」の際、武田信玄が本陣を置いたというのが、前回の「福泉寺」でした。
寺の周辺を土地の人々は「乱闘場」と呼んでいるということでしたが、ここ「若田ヶ原」もまさに「乱闘場」だったのでしょう。
現在その一角に「八幡霊園」が造成されているというのも、何か因縁を感じさせます。
ブランコの向こうに、もうひとつ史跡看板が見えます。
看板の最後に、「弁慶が書いたと言われる額が、八幡宮参道の大鳥居に掲げられていると言います。」と、妙な言い回しで書かれていますが、実はその額は掲げられていません。
8年前は、たしかに掲げられていたんです。→◇伝者繁栄
どうしちゃったんでしょう。
「八幡八幡宮」にお聞きしたら、平成二十八年(2016)の鳥居改修の時に外し、八幡宮で保管しているとのことです。
レプリカでも掲げておけばいいのになぁ。
【若田ヶ原古戦場跡史跡看板】