「箕輪小学校前」の信号から、箕郷-榛名山線(県道126号)を榛名山方面へ約2.5km、県道を外れて右へ入ったところが、箕郷町中善地の集落です。
140mほど行った所にあるのが、「中善地集会所」。
玄関の脇に、「中善地盆踊り」の史跡看板が建っています。
集会所の前が盆踊り会場になるようで、ストリートビューには、祭りの後でしょうか解体途中らしき櫓が写っています。
やぐらの後ろに見えるお堂の横に、もうひとつ史跡看板が建っています。
ここにあったという「善念寺」は、看板に書かれている寸法からすると、こんな大きさだったようです。
「薬師堂」の中に納められている、石仏たち。
二十二体以上ありそうですが・・・。
厨子の中のが「薬師様」なんでしょうか。
「二十二夜様」は、文政五年(1822)の建立。
なかなかいいお顔をしてらっしゃいます。
月待講で多いのは、月齢二十三日目の「さんや様」ですが、ここではその一日前の「にや様」が行われていたんですね。
「二十二夜塔」の隣には、これまた立派な「女人講」の塔が建っています。
こちらは、明治十六年(1883)の建立です。
彫られている像は、月待塔によく見られる「如意輪観音」ではありません。
よく見ると、右の腕で抱えているのは赤子らしいので、たぶん「子安(こやす)様」でしょう。
「子安様」は、十九夜の月待(女人講)塔に刻まれることが多く、文字通り子授け・安産・子育てを願うものです。
左手に載せているのは、ザクロに似た「吉祥果」(きちじょうか)という実で、実の中にたくさんの種を宿した果肉があるので、子だくさん・子孫繁栄をもたらすシンボルなんだそうです。
まさに、「女人講」にふさわしい塔ですね。
140mほど行った所にあるのが、「中善地集会所」。
玄関の脇に、「中善地盆踊り」の史跡看板が建っています。
集会所の前が盆踊り会場になるようで、ストリートビューには、祭りの後でしょうか解体途中らしき櫓が写っています。
やぐらの後ろに見えるお堂の横に、もうひとつ史跡看板が建っています。
ここにあったという「善念寺」は、看板に書かれている寸法からすると、こんな大きさだったようです。
「薬師堂」の中に納められている、石仏たち。
二十二体以上ありそうですが・・・。
厨子の中のが「薬師様」なんでしょうか。
「二十二夜様」は、文政五年(1822)の建立。
なかなかいいお顔をしてらっしゃいます。
月待講で多いのは、月齢二十三日目の「さんや様」ですが、ここではその一日前の「にや様」が行われていたんですね。
「二十二夜塔」の隣には、これまた立派な「女人講」の塔が建っています。
こちらは、明治十六年(1883)の建立です。
彫られている像は、月待塔によく見られる「如意輪観音」ではありません。
よく見ると、右の腕で抱えているのは赤子らしいので、たぶん「子安(こやす)様」でしょう。
「子安様」は、十九夜の月待(女人講)塔に刻まれることが多く、文字通り子授け・安産・子育てを願うものです。
左手に載せているのは、ザクロに似た「吉祥果」(きちじょうか)という実で、実の中にたくさんの種を宿した果肉があるので、子だくさん・子孫繁栄をもたらすシンボルなんだそうです。
まさに、「女人講」にふさわしい塔ですね。
【中善地の善念寺跡】