箕郷-榛名山線(県道126号)中善地を過ぎて直ぐ、「Jows-Factory」という車屋さんの向かい側に、「治尾の牧」(はりおのまき)の史跡看板が建っています。
この史跡看板の後方にあるのが「治尾の滝」と「歌碑」なんです。
とすれば、この史跡看板、ほんとは「治尾の滝」とすべきだったように思います。
ただ、この季節は雑草が生い茂っていて滝の姿が見えません。
近くまで行ってみたいのですが、手前はカボチャ畑、その向こうは民家の庭になっていて近づけません。
瓜田に履を入れる訳にもいかず、気も弱いが欲望にも弱い迷道院が、民家のチャイムを押してました。
ご主人に訳をお話しすると、「ああ、いいよ。いい写真撮ってってくんない。」ということで、お庭に入らせてもらうことができました。
「歌碑」の建立は明治十七年(1884)、歌の作者は参事院議官従四位勲二等・福羽美静(ふくば・びせい)となっています。
史跡看板の左下にも、小さな石碑が建っています。
と刻まれています。(155間3尺は、約282.7m)
「上野国九牧」のひとつ「治尾牧」は、「群馬県史」では「沼尾牧」となっていて、看板にもあるように推定地は3ヵ所あるようです。
推定地の地図を見ても、なぜか「善地」だけがポツンと孤立してて・・・。
大正十四年(1925)発行の「群馬縣群馬郡誌」には、こんな記述があります。
馬を隠したというのは、面白い話ですね。
「治尾泉」にも興味津々です。
史跡看板には「月波神社の東30mの道下」とありますから、探しに行ってみましょう。
「治尾の滝」から370mほど行くと、相馬が原方面へ行く丁字路があって、右折すればすぐ「月波神社」です。
そこから30m行った道下というんですが、その辺にはそれらしいものは見当たりません。
さらに180mほど進むと、道路右下の鬱蒼たる木々の中に何やら怪しいものが見えました。
ところが、そこへ行こうと思うとけっこう大変で。
高く伸びた雑草の急斜面を下りると、その先の雑草の下にはズボっと嵌まる湿地帯が隠れていたりして・・・。
やっとこさっとこ、それらしき所に辿り着きました。
「宝山龍神」という石碑の向こうに小さな石祠があり、そこから水が流れ出ています。
「水登ること尺餘掘抜井戸の如し」という程でもなく、ポコッ、ポコッという水の音が聞こえるだけです。
水路の先に、大きなオニギリ形をした石があります。
これが「震石」(ゆるぎいし)なんでしょうか、押しても微動だにしませんが。
「古治尾牧地」という文字が彫られています。
水は、そのちょっと先で二つに分かれて草むらの中へ消えていくんですが・・・。
驚いたことに、ここに水が湧き出しているんです。
たしかに、ここは「牧」だったのかも知れません。
高原の爽やかな風が、吹き抜けていきました。
この史跡看板の後方にあるのが「治尾の滝」と「歌碑」なんです。
とすれば、この史跡看板、ほんとは「治尾の滝」とすべきだったように思います。
ただ、この季節は雑草が生い茂っていて滝の姿が見えません。
近くまで行ってみたいのですが、手前はカボチャ畑、その向こうは民家の庭になっていて近づけません。
瓜田に履を入れる訳にもいかず、気も弱いが欲望にも弱い迷道院が、民家のチャイムを押してました。
ご主人に訳をお話しすると、「ああ、いいよ。いい写真撮ってってくんない。」ということで、お庭に入らせてもらうことができました。
「歌碑」の建立は明治十七年(1884)、歌の作者は参事院議官従四位勲二等・福羽美静(ふくば・びせい)となっています。
史跡看板の左下にも、小さな石碑が建っています。
「 | 延喜式馬寮上野國九牧之中治尾牧 |
古はりを(治尾)の志みず(清水) | |
此瀧より水源へ百五十五間三尺」 |
「上野国九牧」のひとつ「治尾牧」は、「群馬県史」では「沼尾牧」となっていて、看板にもあるように推定地は3ヵ所あるようです。
推定地の地図を見ても、なぜか「善地」だけがポツンと孤立してて・・・。
大正十四年(1925)発行の「群馬縣群馬郡誌」には、こんな記述があります。
「 | 治尾牧蹟と治尾泉(車鄕村) |
大字善地の中央なる地を延喜式九牧中の一なる治尾の牧の遺跡なりと傳ふ。 | |
今字名に駒寄・牧場等あり、尚駒寄の西北一帶に亙りて駒隱(こまかくし)谷と稱す、 往古良馬の徴發頻りにして民其の繁に堪へず、密かに附近の陰谷に駒を隠し以て徴馬の難を避けたるを以てこの名ありといふ。 |
|
此に治尾泉といふ冷泉あり、水源湧口太くして水登ること尺餘掘抜井戸の如し。 | |
傍に高さ八尺餘の大石あり震石(ゆるぎいし)といふ、昔時は僅に指先を以て動かし得たるを以て此の名ありと傳ふ、」 | |
「治尾泉」にも興味津々です。
史跡看板には「月波神社の東30mの道下」とありますから、探しに行ってみましょう。
「治尾の滝」から370mほど行くと、相馬が原方面へ行く丁字路があって、右折すればすぐ「月波神社」です。
そこから30m行った道下というんですが、その辺にはそれらしいものは見当たりません。
さらに180mほど進むと、道路右下の鬱蒼たる木々の中に何やら怪しいものが見えました。
ところが、そこへ行こうと思うとけっこう大変で。
高く伸びた雑草の急斜面を下りると、その先の雑草の下にはズボっと嵌まる湿地帯が隠れていたりして・・・。
やっとこさっとこ、それらしき所に辿り着きました。
「宝山龍神」という石碑の向こうに小さな石祠があり、そこから水が流れ出ています。
「水登ること尺餘掘抜井戸の如し」という程でもなく、ポコッ、ポコッという水の音が聞こえるだけです。
水路の先に、大きなオニギリ形をした石があります。
これが「震石」(ゆるぎいし)なんでしょうか、押しても微動だにしませんが。
「古治尾牧地」という文字が彫られています。
水は、そのちょっと先で二つに分かれて草むらの中へ消えていくんですが・・・。
驚いたことに、ここに水が湧き出しているんです。
たしかに、ここは「牧」だったのかも知れません。
高原の爽やかな風が、吹き抜けていきました。
【治尾の牧 史跡看板】
【治尾の泉】