浜川郵便局から東へ510mほど行くと、「大日公園」というのがあります。
そこに建つお堂が「大日堂」、中に祀られているのが「大日如来」です。
二体ありますが・・・。
「高崎の散歩道第七集」に載っている写真を見ると、左の方が昔から信仰されていたもののようです。
史跡看板を読んでみましょう。
看板では、「巡礼で通った老婆」と書いてありますが、吉永哲郎氏は「高崎の散歩道」の中で、「六部姿の老婆」と表現しています。
そして、「六部」についてこう説明しています。
老婆が名主から与えられ、また生き仏となった土地というのが、「大日堂」の建つこの場所なのだそうです。
老婆の死後祀られた「大日如来」を、土地の人は「オダイニチ様」→「オデエニチ様」→「オデンチ様」と呼んだ訳です。
「オデンチ様」は、災難除けや病気平癒に大変な霊験があり、お礼には三角の前掛けを掛けるのだそうです。
たしかに、「高崎の散歩道」の写真では何枚もの前掛けが掛けられていますが、訪ねたこの日は一枚も掛かっていませんでした。
また「大日公園」には、五基の道祖神が祀られています。
各区にあったものを、一ヵ所に集めたようです。
道祖神の由来を書いた碑も建っていて、後世に伝えようという気持ちがよく表れています。
しばしこの辻に立って、先人の豊かな精神文化を感じ取ってみましょう。
そこに建つお堂が「大日堂」、中に祀られているのが「大日如来」です。
二体ありますが・・・。
「高崎の散歩道第七集」に載っている写真を見ると、左の方が昔から信仰されていたもののようです。
史跡看板を読んでみましょう。
看板では、「巡礼で通った老婆」と書いてありますが、吉永哲郎氏は「高崎の散歩道」の中で、「六部姿の老婆」と表現しています。
そして、「六部」についてこう説明しています。
「 | 六部とは、もとは書写した六十六部の法華経を全国の六十六の霊地に一部づつおさめて歩く修行僧のことであるが、一般には、法華の行者で法華経をとなえながら、全国の国分寺や一の宮を巡拝する者や、近世の鉦をたたき(または鈴を振り)、仏像の入った厨子を背負い、銭や米を人々に乞いながら巡礼する者のことをいう。 浜川の話の六部は後者であろう。」 |
老婆が名主から与えられ、また生き仏となった土地というのが、「大日堂」の建つこの場所なのだそうです。
老婆の死後祀られた「大日如来」を、土地の人は「オダイニチ様」→「オデエニチ様」→「オデンチ様」と呼んだ訳です。
「オデンチ様」は、災難除けや病気平癒に大変な霊験があり、お礼には三角の前掛けを掛けるのだそうです。
たしかに、「高崎の散歩道」の写真では何枚もの前掛けが掛けられていますが、訪ねたこの日は一枚も掛かっていませんでした。
また「大日公園」には、五基の道祖神が祀られています。
各区にあったものを、一ヵ所に集めたようです。
道祖神の由来を書いた碑も建っていて、後世に伝えようという気持ちがよく表れています。
しばしこの辻に立って、先人の豊かな精神文化を感じ取ってみましょう。
【大日堂の生き仏】