前回の続きで、応処斎渕臨(おうしょさい・えんりん)の奉納額があるという、吉井町神保の「辛科(からしな)神社」へ行ってみました。
鳥居の左側に史跡看板が建っています。
立派な随神門があります。
ここの随神は珍しくて、狛犬のような金属製の神獣が門番をしています。
右側の神獣の上に板絵がありますが、これが応処斎の奉納額なんでしょうか。
奉納額は左側にもあります。
裏側にもあります。
さらに、社殿の右側面にもあるんですが、これは相当褪色しています。
これらのどれかが、あるいはすべてが応処斎の作なのでしょうが、いずれのものにも銘がありません。
宮司さんは、「随神門裏側のは間違いないと思うが・・・。」と仰るのですが。
うーん、ここでもまた応処斎に近づいたような気がしません。
帰宅して、ネットで応処斎を検索してみましたが、何もヒットしません。
ただ、画像検索でヒットしたものが一枚ありました。
現在リンクが切れてしまっていますが、たしかに「應處齋淵臨筆」と銘が入っています。
弟子が280余人もいたという絵師なのに、残っている作品はこんなもんなんでしょうか。
ここで分からなければもう諦めようかと思いながら吉井郷土資料館へ行くと、これがいい情報をつかむことができたんです。
応処斎のご子孫が、「穂積神社」の近くで直売所をやっているというのです。
これは行かない訳にいかないでしょう。
次回に続きます。
鳥居の左側に史跡看板が建っています。
立派な随神門があります。
ここの随神は珍しくて、狛犬のような金属製の神獣が門番をしています。
右側の神獣の上に板絵がありますが、これが応処斎の奉納額なんでしょうか。
奉納額は左側にもあります。
裏側にもあります。
さらに、社殿の右側面にもあるんですが、これは相当褪色しています。
これらのどれかが、あるいはすべてが応処斎の作なのでしょうが、いずれのものにも銘がありません。
宮司さんは、「随神門裏側のは間違いないと思うが・・・。」と仰るのですが。
うーん、ここでもまた応処斎に近づいたような気がしません。
帰宅して、ネットで応処斎を検索してみましたが、何もヒットしません。
ただ、画像検索でヒットしたものが一枚ありました。
現在リンクが切れてしまっていますが、たしかに「應處齋淵臨筆」と銘が入っています。
弟子が280余人もいたという絵師なのに、残っている作品はこんなもんなんでしょうか。
ここで分からなければもう諦めようかと思いながら吉井郷土資料館へ行くと、これがいい情報をつかむことができたんです。
応処斎のご子孫が、「穂積神社」の近くで直売所をやっているというのです。
これは行かない訳にいかないでしょう。
次回に続きます。
【辛科神社】