「番所跡」から50mほど坂を下ると、左へ入る小道の角にこんなものが立っています。
「公共栓」なんて知ってる人は、相当なご年配だと思うのですが、それを知ってる迷道院は・・・。
長屋などで共同で使う水道栓で、蛇口を開け閉めする取っ手が、取り外しできるようになってましたね。
水を使う人は、専用の取っ手を持ってきて蛇口を開け、水を汲んだら取っ手を外して持って帰るという仕組みです。
懐かしいなぁ。
その先の十字路を右に曲がると、「中村染工場」の高い干し台が見えてきます。
その塀の内側に、史跡看板が立っています。
創業時の「中村染工場」は、たぶん高崎城「遠構え」の水を利用して染物を洗っていたのだと思います。
「遠構えの」の水路も今はみな暗渠になってしまいましたが、長松寺の北側には「遠構え」の水が滔々と流れ、それを利用した水車もあったのです。
「中村染工場」の北に「神武坂」という坂があるんですが、ここにその水車がありました。
「長松寺車(ぐるま)」と呼ばれたこの水車は、元禄三年(1690)に造られ昭和二十五年(1950)くらいまで使われていたようです。
三基の水車で40本の杵を搗いていたといいますから、結構な規模です。
「長松寺車」のあった場所は現在こうなっていますが、何となく面影が残っているように思えます。
「長松寺車」の水車を回していた心棒は、長松寺の庫裡の柱となってその姿を留めています。
話は戻りますが、迷道院と「中村染工場」さんとのお付き合いは、けっこう長いのです。
6年前に書いた記事「高崎の誇る注染工場」がきっかけで、それがご縁で「上州弁手ぬぐい」を染めて頂くことになったのです。
その辺のことは、「上州弁手ぬぐい物語(3)」に書いてありますので、よかったらご覧ください。
2年前、とても素敵なお店にリニューアルされました。
店内には、どれもこれも欲しくなってしまいそうな、洒落た手拭いや、手拭いを使った可愛い手作りグッズが沢山並んでいます。
まだ行ったことがないという方は、ぜひお出かけくださいますようお勧めいたします。
「公共栓」なんて知ってる人は、相当なご年配だと思うのですが、それを知ってる迷道院は・・・。
長屋などで共同で使う水道栓で、蛇口を開け閉めする取っ手が、取り外しできるようになってましたね。
水を使う人は、専用の取っ手を持ってきて蛇口を開け、水を汲んだら取っ手を外して持って帰るという仕組みです。
懐かしいなぁ。
その先の十字路を右に曲がると、「中村染工場」の高い干し台が見えてきます。
その塀の内側に、史跡看板が立っています。
創業時の「中村染工場」は、たぶん高崎城「遠構え」の水を利用して染物を洗っていたのだと思います。
「遠構えの」の水路も今はみな暗渠になってしまいましたが、長松寺の北側には「遠構え」の水が滔々と流れ、それを利用した水車もあったのです。
「中村染工場」の北に「神武坂」という坂があるんですが、ここにその水車がありました。
「長松寺車(ぐるま)」と呼ばれたこの水車は、元禄三年(1690)に造られ昭和二十五年(1950)くらいまで使われていたようです。
三基の水車で40本の杵を搗いていたといいますから、結構な規模です。
「長松寺車」のあった場所は現在こうなっていますが、何となく面影が残っているように思えます。
「長松寺車」の水車を回していた心棒は、長松寺の庫裡の柱となってその姿を留めています。
話は戻りますが、迷道院と「中村染工場」さんとのお付き合いは、けっこう長いのです。
6年前に書いた記事「高崎の誇る注染工場」がきっかけで、それがご縁で「上州弁手ぬぐい」を染めて頂くことになったのです。
その辺のことは、「上州弁手ぬぐい物語(3)」に書いてありますので、よかったらご覧ください。
2年前、とても素敵なお店にリニューアルされました。
店内には、どれもこれも欲しくなってしまいそうな、洒落た手拭いや、手拭いを使った可愛い手作りグッズが沢山並んでいます。
まだ行ったことがないという方は、ぜひお出かけくださいますようお勧めいたします。
【中村染工場】
【「長松寺車」があった場所】