2016年05月22日

史跡看板散歩-2 中村染工場

「番所跡」から50mほど坂を下ると、左へ入る小道の角にこんなものが立っています。
史跡看板散歩-2 中村染工場

「公共栓」なんて知ってる人は、相当なご年配だと思うのですが、それを知ってる迷道院は・・・。

長屋などで共同で使う水道栓で、蛇口を開け閉めする取っ手が、取り外しできるようになってましたね。
水を使う人は、専用の取っ手を持ってきて蛇口を開け、水を汲んだら取っ手を外して持って帰るという仕組みです。
懐かしいなぁ。

その先の十字路を右に曲がると、「中村染工場」の高い干し台が見えてきます。

史跡看板散歩-2 中村染工場
その塀の内側に、史跡看板が立っています。
史跡看板散歩-2 中村染工場

創業時の「中村染工場」は、たぶん高崎城「遠構え」の水を利用して染物を洗っていたのだと思います。
史跡看板散歩-2 中村染工場

「遠構えの」の水路も今はみな暗渠になってしまいましたが、長松寺の北側には「遠構え」の水が滔々と流れ、それを利用した水車もあったのです。
史跡看板散歩-2 中村染工場

「中村染工場」の北に「神武坂」という坂があるんですが、ここにその水車がありました。
史跡看板散歩-2 中村染工場

史跡看板散歩-2 中村染工場「長松寺車(ぐるま)」と呼ばれたこの水車は、元禄三年(1690)に造られ昭和二十五年(1950)くらいまで使われていたようです。

三基の水車で40本の杵を搗いていたといいますから、結構な規模です。

史跡看板散歩-2 中村染工場「長松寺車」のあった場所は現在こうなっていますが、何となく面影が残っているように思えます。

史跡看板散歩-2 中村染工場



「長松寺車」の水車を回していた心棒は、長松寺の庫裡の柱となってその姿を留めています。

話は戻りますが、迷道院と「中村染工場」さんとのお付き合いは、けっこう長いのです。
6年前に書いた記事「高崎の誇る注染工場」がきっかけで、それがご縁で「上州弁手ぬぐい」を染めて頂くことになったのです。
その辺のことは、「上州弁手ぬぐい物語(3)」に書いてありますので、よかったらご覧ください。

2年前、とても素敵なお店にリニューアルされました。
史跡看板散歩-2 中村染工場

店内には、どれもこれも欲しくなってしまいそうな、洒落た手拭いや、手拭いを使った可愛い手作りグッズが沢山並んでいます。
まだ行ったことがないという方は、ぜひお出かけくださいますようお勧めいたします。


【中村染工場】


【「長松寺車」があった場所】






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この記事へのコメント
共同栓!よく気が付きましたね!
近所の方でも知っている人は少ないと思います。
歩いてないとわからないですもんね。

我が家も発祥の頃(1868年と言われております)は「神武有花園」と名乗っていたようです。

歴史を絶やさぬように、一生懸命努めてまいります。
Posted by 蔵六  at 2016年05月22日 14:06
>蔵六さん

消火栓だと思ってる人も、いるかも知れませんね。

高崎の昔が書かれた本には、必ず「神武遙拝所」とともに「有花園」の名が出てきますね。
「開化高崎扣帖」には、「上和田は田舎びていて、見渡す限り有花園の花畑が展開してる」と書かれてます。
当時の写真を見たことがないので、もしあったら見せてください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年05月22日 17:54
ご紹介頂いてありがとうございます。
水車の話は何度か聞いたことがありますが、絵を見るとわかりやすいですね。
史跡看板は現時点ではあまり目立たず、来店された方でさえもほとんどがその存在を知らぬまま。折角設置して頂いたので皆様にもっと知って頂けるようにしたいです。
Posted by 中村染工場  at 2016年05月23日 12:21
>中村染工場さん

いつもお世話になっております。
このブログで、看板を見に行ってくれる人が増えたら嬉しいですが。
歴史ある、貴重な存在の中村さんですから、これからもますます発展して、高崎の名を広く知らしめてほしいです。
よろしくお願いいたします!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年05月23日 19:01
今日は、中村染工場に大きな干し台有るとは!
長松寺に、水車の柱が使用されているとは、
驚きです。
水道の普及も、高崎は進んでいますね。
水道の浄化施設も日本でも早い方だと思います。
Posted by wasada49  at 2016年05月25日 04:53
>wasada49さん

染物屋さんの干し台に長い染物がひらめいているのは、何とも風情のあるものです。
長松寺の水車の心棒は、しばらく縁の下に置かれていたそうですが、改築の際に利用しようと思ったその気持ちが嬉しいですよね。

高崎の本格的な浄水場は、明治43年にできた「剣崎浄水場」です。
自慢なのは、その浄水場がいまだに稼働されていて、しかも全国でも珍しい緩速濾過方式だということです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年05月25日 09:36
公共栓を覚えています。相当な年配でもありませんが・・ 私の遊び場だった地域に二つ。元の高崎女子高校(現中央公民館)の北末広町第二町内。すぐ北に長野堰が流れており染物屋さんが3軒ありました。もう一つは請地町で今デイリーフーズがある野口病院の通りです。こちらはライオンの口から水が出たような記憶があるのですが、記憶違いかもしれません。残っていたら相当な文化財になったでしょう。目をつむると当時の家並みが浮かんできます。
Posted by toboketaG  at 2016年05月25日 17:09
>toboketaGさん

公共栓、ご存知でしたか。
相当なご年配では無かったみたいで、こりゃ失礼いたしました。

ライオンの口が付いた公共栓というのも、珍しいですね。
ほんと、残っていたらすごい貴重なものでしたのにね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年05月25日 23:59
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