今回から、新シリーズの始まりです。
「祝!名所旧跡案内板設置完了」の記事でもご紹介しましたが、新しく高崎の名所旧跡看板が183か所に設置されました。
それを、一つ一つ訪ね歩くシリーズです。
今回は、その第一回として赤坂町の「番所跡」を訪ねました。
赤坂町公民館の前に建てられているのですが、道からちょっと凹んだところなので、街道歩きの人は気づいてくれるでしょうか。
隣りの、ねず色の建物は赤坂町の山車倉です。
「萬延元年覺法寺繪圖」(1860)に、番所が描かれています。
元禄十六年(1703)に描かれた「高崎宿倉賀野宿往還絵図」では、番所は長松寺側にあります。
ここにあった木戸は「内木戸」と呼ばれたもので、坂を下ったところにはもう一つ、「外木戸」というのがあったようです。
詳しくは、過去記事「続・鎌倉街道探訪記(7)」をご覧ください。
「外木戸」と「内木戸」の間に、「観音堂」がありました。
ここには十一面観音が祀られていて「赤坂下町観音」と呼ばれていましたが、後に「恵徳寺」境内に移設されました。
また、「赤坂下町観音」の境内には、弘法大師が腰かけたという「大師石」というのがありました。
この石が、有名な「和田三石」のひとつ「立石」で、これも現在「高崎神社」の境内に移されています。
この近辺、見所はまだまだ沢山あるのですが、きりがないのでここまでにしておきましょう。

「祝!名所旧跡案内板設置完了」の記事でもご紹介しましたが、新しく高崎の名所旧跡看板が183か所に設置されました。
それを、一つ一つ訪ね歩くシリーズです。
今回は、その第一回として赤坂町の「番所跡」を訪ねました。

隣りの、ねず色の建物は赤坂町の山車倉です。
「萬延元年覺法寺繪圖」(1860)に、番所が描かれています。
元禄十六年(1703)に描かれた「高崎宿倉賀野宿往還絵図」では、番所は長松寺側にあります。
ここにあった木戸は「内木戸」と呼ばれたもので、坂を下ったところにはもう一つ、「外木戸」というのがあったようです。
詳しくは、過去記事「続・鎌倉街道探訪記(7)」をご覧ください。
「外木戸」と「内木戸」の間に、「観音堂」がありました。
ここには十一面観音が祀られていて「赤坂下町観音」と呼ばれていましたが、後に「恵徳寺」境内に移設されました。
また、「赤坂下町観音」の境内には、弘法大師が腰かけたという「大師石」というのがありました。
この石が、有名な「和田三石」のひとつ「立石」で、これも現在「高崎神社」の境内に移されています。
この近辺、見所はまだまだ沢山あるのですが、きりがないのでここまでにしておきましょう。
【番所跡】
