
知らない人は駐車場係員の事務所だと思っているみたいで、高崎市民でも、中に入ったことが無いという人がいるかも知れませんね。
昭和五十七年(1982)発行の「上州路 12月号」に、当時、観音山商業協同組合理事長で「雄元堂」店主の長谷川元吉さんが、この観光センターができる喜びを、こう述べています。
観音山にインフォメーションセンターができる! |
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「 | 山頂の駐車場のところに、六十坪ほどの建物を市で作り、観光協会に委託するということになっています。 |
一階は、観音山の地質、野鳥の展示など、ショールームとして使い、二回を展望ルームにするようにと考えられている筈です。 | |
観音山から市街地を見下ろす景色はますます素晴らしいですよ。展望ルームは市民に大いに利用してもらいたいですね。 | |
私の信念は思い続けるということなのです。思い続ければ実現する。そこに環境ができてくるのです。」 |
30年後の現在、長谷川さんの思いは実現しているでしょうか。
今日の記事は、ちょっと辛口になりそうです。

あ、よく見たら白衣観音像もありました。

観音山に関するパンフレットだけが欲しい人にも、端から端まですべてのパンフレットを見てもらうという高等テクニックです。

二階へ行こうとする人にしか、目に触れることはありませんので、きちんと積まなくてもいいので楽です。


めったに人なぞ来ないので、照明は消し冷房も停めて、省エネに徹しています。
万が一来る人がいても、暑いのですぐ出て行きますから、くつろげるテーブルなんて初めから用意してありません。


観音様の足跡はよく見えます。
ところで、これ、実物大なんでしょうか?
因みに白衣大観音の御足は、長さ二十四尺(727.3cm)、幅七尺(212.1cm)だそうです。(井上保三郎翁出世録)
駐車場の足跡を計ってみたら、長さ607cm、幅227cmで、ほぼ実物大でした。
観音様の色褪せかけた写真パネルは、落ちないように床に直置きにしてあります。
昔から掲示してあるパネルは、年季の入ったセピア色で趣きがあります。
説明文は一切書かず、見た人が勝手に想像できるようにしてあります。
と、まぁ、こんな状態です。

観音山の特色を持った土産物を扱いたいと思った長谷川さんは、観音山の土を使って土鈴や陶器、オカリナまで自分の手で作りました。
その釉薬には、観音様へあげたお線香の灰と藁灰を混ぜて使うというほど、観音山にこだわりを持った方でした。
量を売るのではなく、手をかけて、自分の気持ちを込めた、付加価値の高いものを提供したいというのが、長谷川さんの願いでした。

その7年後には奥様も亡くなられ、営んでいた「雄元堂」は店を閉じています。
その長谷川さんが期待した「観光センター」は、観音山のことを伝える「インフォメーションセンター」だったはずです。
近頃どこの観光地へ行っても、「観光案内所」「ビジターセンター」「おもてなし館」など、工夫を凝らした「インフォメーションセンター」が必ずあります。
来訪者はまずそこに立ち寄って、その地の歴史やら名所やら名物など一通りの知識を得たうえで散策を始めるのが、当たり前になっています。
現在の「観音山観光センター」に立ち寄ると、観音山の何が分かるのでしょうか。
こだわりもない、来訪者のことも考えない、観光に力を入れる気もなさそう、そんな土地柄なんだということを分かってもらえるなんて、あまりにも悲しすぎます。

「一所一勝運動」は、高崎観光協会が昭和五十八年(1983)から三年間実施した運動で、67ヶ所が認定されました。
沼賀市長時代は、観光係長だった内山信次氏との名コンビで、多くの名所・史跡案内板の整備や、「高崎の散歩道」「高崎漫歩」「徐徐漂(ぶらり)たかさき」など、高崎散策ガイドブックの名著が次々と発行されていたのです。
先人たちの英知とこだわりと熱い思いを、ふたたび観音山に!