のっけから寄り道というか、後戻りです。テヘッ(^^ゞ
でも今回のお散歩は、どうしてもここからスタートしたいんです。
←例幣使街道の分岐点から250mほど高崎寄りに、こんな石碑が建っています。
「勘定奉行 小栗上野介忠順公と埋蔵金ゆかりの地」。
裏面には、「平成二年八月 瀬野文男 藤川忠男 大橋教文 矢島博明」とあります。
徳川埋蔵金の隠し場所といえば赤城山が最も有名ですが、倉賀野こそ埋蔵金の隠し場所であると、真剣に研究している人たちがいたのです。
歌謡教室とスナック経営をしていた矢島さんの元へ、先輩の藤川さんが「町おこしのために資料館を造ろう。」と訪ねてきたのがきっかけで、食堂を開いていた大橋さんも加わって昭和六十二年(1987)に開設したのが、私設の歴史資料館「倉賀野資料館」です。
その活動の中で、小栗上野介の大砲や大量の荷が倉賀野河岸に届いていたという確証を得、埋蔵金は倉賀野にあると考えて研究と追跡を始めます。
矢島さんは、上野介と共に倉賀野を全国的にPRしたいという思いで、平成四年(1992)に調査結果を一冊の本にまとめ出版しています。
ご興味のある方は、矢島ひろ明氏著「小栗上野介忠順 その謎の人物の生と死」(群馬出版センター)をご覧ください。
「倉賀野資料館」は現在閉館されてしまっていますが、いつの日か再開されることを願っています。
この近くには、寄り道したくなる所がいくつもありますので、ご紹介しておきましょう。
「北向庚申」
北向であることも珍しいですが、庚申塔に覆い屋がかかっているのも珍しいでしょう。
これには、面白い逸話が残っているんです。
薬師様のご尊顔を拝見する方法が、実にユニークなんですよ。
さて、寄り道が過ぎましたか。
次回から、例幣使街道を歩きはじめることに・・・なるかな?
でも今回のお散歩は、どうしてもここからスタートしたいんです。
←例幣使街道の分岐点から250mほど高崎寄りに、こんな石碑が建っています。
「勘定奉行 小栗上野介忠順公と埋蔵金ゆかりの地」。
裏面には、「平成二年八月 瀬野文男 藤川忠男 大橋教文 矢島博明」とあります。
徳川埋蔵金の隠し場所といえば赤城山が最も有名ですが、倉賀野こそ埋蔵金の隠し場所であると、真剣に研究している人たちがいたのです。
歌謡教室とスナック経営をしていた矢島さんの元へ、先輩の藤川さんが「町おこしのために資料館を造ろう。」と訪ねてきたのがきっかけで、食堂を開いていた大橋さんも加わって昭和六十二年(1987)に開設したのが、私設の歴史資料館「倉賀野資料館」です。
その活動の中で、小栗上野介の大砲や大量の荷が倉賀野河岸に届いていたという確証を得、埋蔵金は倉賀野にあると考えて研究と追跡を始めます。
矢島さんは、上野介と共に倉賀野を全国的にPRしたいという思いで、平成四年(1992)に調査結果を一冊の本にまとめ出版しています。
ご興味のある方は、矢島ひろ明氏著「小栗上野介忠順 その謎の人物の生と死」(群馬出版センター)をご覧ください。
「倉賀野資料館」は現在閉館されてしまっていますが、いつの日か再開されることを願っています。
この近くには、寄り道したくなる所がいくつもありますので、ご紹介しておきましょう。
「北向庚申」
北向であることも珍しいですが、庚申塔に覆い屋がかかっているのも珍しいでしょう。
これには、面白い逸話が残っているんです。
薬師様のご尊顔を拝見する方法が、実にユニークなんですよ。
さて、寄り道が過ぎましたか。
次回から、例幣使街道を歩きはじめることに・・・なるかな?
【埋蔵金ゆかりの地石碑】
【北向庚申】
【めなおし薬師】