
小栗又一の首級を、権田村まで引き取りに行ったという名主の家です。
行ってみました。

この長屋門は、高崎市の都市景観賞を受賞していますが、その選考理由を見ると、
「昭和13年に築造された、両側に住居や作業小屋等の長屋を備えた長屋門であって、けやきの一枚板を使った豪華な門扉を持った重厚な建物である。戦国時代の下斎田城の本郭に位置し、屋敷の周囲に濠が回されている。また、小栗上野介が支配した知行所の名主としての歴史的背景も、景観を印象づける一翼を担っている。」
とあります。


前掲の図を見ると、「鎌倉時代の環濠館」とありますが、その環濠が今もその形跡を保っているのは、すごいことです。

なになに?
「観音堂新築記念碑」とあるじゃありませんか!

田口氏の祖先は、例の安達藤九郎盛長の家臣・斉田氏で、室町時代の田口兵庫という人が「観音堂」と「阿弥陀堂」を建立したと書いてあります。

と、石垣の上に人影が・・・。
目が合い、人様の土地に入り込んだ後ろめたさもあって、思わず「こんにちは!」と挨拶をしました。
そんな私を咎めるでもなく、「どちらから?」と気さくな声にホッとして、「○○から来ました。今、例幣使街道を歩いていて、小栗又一が最初に埋葬された観音堂のことが、そこの碑に書いてあるのを見つけて・・・。」と、言い訳タラタラです。
すると、「あ、それ私が建てたんですよ。」と仰います。
「え?じゃ、田口家のご主人ですか?」
「そうです。」
ということで、思いも掛けず名主・田口十七蔵のご子孫にお目に掛かるという幸運に恵まれてしまいました。

次回、ご紹介いたしましょう。