2012年11月21日

控帳 「五常 亡八 至誠」

「五常」とは、儒教で説く5つの徳目、「五徳」とも。
「仁」・・・思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうこと。
「義」・・・利欲にとらわれず、なすべきことをすること。
「礼」・・・人間社会の上下関係で守るべきこと。
「智」・・・学問に励み、知識を重んじること。
「信」・・・言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。


「忘八」とは、仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌の八徳を忘れること。


「至誠」とは、きわめて誠実なこと。また、その心。まごころ。


「二宮翁夜話」より。

翁曰、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣虫魚草木にも皆及ぼすべし(及ぼすことができる)、況(いわん)や人に於るをや、故に才智弁舌を尊まず
才智弁舌は、人には説くべしといへ共(説くことはできるかもしれないが)、鳥獣草木を説く可からず(説くことはできない)、鳥獣は心あり(心があるので)、或は欺くべしといへ共(欺けるかもしれないが)、草木をば欺く可からず(欺くことはできない)
古語に、至誠神の如しと云といへ共、至誠は則(すなわち)神と云も不可なかるべきなり、凡(およそ)世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬものと知るべし」

さらに、
古語に、内に誠あれば必ず外に顕(あら)はるゝ、とあり、瑕(きず)なくして真頭の真直なる柿の売れぬと云事、あるべからず、
(それ)何ほど草深き中にても薯蕷(ヤマイモ)があれば、人が直(すぐ)に見付て捨てはおかず、又泥深き水中に潜伏する鰻(ウナギ)(ドジヨウ)も、必ず人の見付て捕へる世の中也、されば内に誠有て、外にあらはれぬ道理あるべからず、此道理を能(よく)心得、身に瑕のなき様に心がくべし」


迷道院独白。
いま、「信を問う」と荒野で呼ばわる声がする。
問いたきものは、公約にあらず、政策にあらず。
ただその者たちの至誠なり。
内に誠あれば必ず外に顕わるという。
見逃すまい、見逃すまい。





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この記事へのコメント
上州瓦版

関西にブリッジアップと名乗る無宿人が居り、砂原なる
江戸の横暴なる下級武士と結託し一刻の世のかく乱を企て
一方では、江戸では鳩川なる人物が諸国をその場凌ぎの
口上を述べ廻り、辻褄が合わなくなる始末
また、鳩川は商人~の袖の下がバレを恐れ自ら隠居となった。
以前、税金逃れで奉行所出向き自ら病を口実に役職を去った
胸襟を開くなどともうしいた、あべかわ餅も、又も世間に
顔を出した。
信を問うとは己の心に問、民にとうとはこれ意かに
輿海なる御仁も世を海中と勘違も甚だしい
公約とは、一刻の言葉尻で信じる民は少なくなった。

いま、洞窟に籠り妻より三行半を出された大川も既に賞味期限が過ぎ
何を言ってもやっても、暖簾にOOOO
Posted by wasada49  at 2012年11月22日 09:46
>wasada49さん

面白いお話を、ありがとうございました。

私自身が忘八なので、人をとやかく言える立場じゃありませんが、忘八は忘八なりに考えたいと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年11月22日 17:14
「忘八」というと、つい時代小説にでてくる
遊女屋の旦那をイメージしてしまいますが、
うーん…難しいお話はちゃんと咀嚼できなくて、
ごめんなさい^^。
Posted by 風子風子  at 2012年11月24日 08:53
>風子さん

ほー、遊女屋の旦那ねー。

昔、丹波哲郎さん主演で「忘八武士道」なんて映画がありましたね。
なんか、やはりちょっと大人向けだったような(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年11月24日 09:36
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