2024年08月10日

隠居の控帳 鬼

日課の朝散歩。
携帯ラジオから流れる仲代達矢さんの話が、心に響いた。


朗読していた言葉は、春日太一「鬼の筆」の文中、脚本家・橋本忍が映画「南の風と波」(1961年、監督も橋本自身)の脚本を書くにあたり、創作ノートに記した文章の主要部分。

全文は以下。
  人間は、生まれて、生きて、死んで行く。
その生きていく間が人生である。
人生とはなんだらう。
恰もそれは賽の河原の石積みのようなものである。
笑ったり泣いたりしながら、みんな、それぞれ自分の石を積んでいく。
ところが、時々、自分達の力ではどうしようもない鬼(災難その他)がやって来て、金棒で無慈悲にこの石を打ち崩す。
人間はその度に涙を流す。
表面的な涙だけではない。心の中が、いや、身体全体までが涙で充満する。
そして、嘆き悲しみながらも、また石を積み始める。

その涙の底には、その人自身は気がつかないにしても、何かとても強い意志・・・・・・生きていこうとする何ものかが・・・・・・不思議なほどに強い生命力がある。
もし、地球上のあらゆる生物が死滅したとしても、最後まで生き残るのは、人間ではなかろうか。
現実の社会は一見、ひどく複雑である。
従って、その中に生きている人間までが複雑に見える。
しかし、もっと人生を俯瞰的に見れば、いや、一人一人の心の中え素直に入り込んでみれば、案外、人間ほど素朴で、悲しく美しい、そして強いものはないように思える。
その姿を的確に描き出すことが、「現代の詩」を生み出すことではなからうか。

春日太一は、橋本忍の作品についてこう述べる。
そうした、「鬼」たちによる容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、橋本はひたすら描いてきた。
なにせ脚本家としてのデビュー作である「羅生門」からして、美しい妻と旅をしていた武士が、盗賊に殺害される話だ。
また、主だった現代劇を挙げるだけでも・・・。殺人犯として無実の罪を着せられる「真昼の暗黒」。
人の好い理容師が、戦時中に上官の命令で犯した罪のために、戦後の軍事法廷で死刑になる「私は貝になりたい」。
暗い過去を持ち、苦労を重ねた者がようやく幸福を掴みかけたところで、事件捜査により全てを失う「張込み」「ゼロの焦点」「砂の器」。
一方的な逆恨みのために築いてきた栄光を失う「霧の旗」。
自然の猛威の前に人々の営みが全て飲み込まれていく「日本沈没」。
上層部の無謀な命令のために、史上最悪の山岳遭難事故が起きる「八甲田山」。(略)
ほとんどの作品において橋本は、自分自身ではどうにもならない災厄により悲劇的な状況に陥る人間たちを描いてきたのだ。」

橋本自身もまた、たくさんの「鬼」と遭遇する。
晩年に服用していた薬のリストを見ると、糖尿病関係、代謝関係、呼吸器関係、消化器関係、神経・脳関係、精神科関係・・・と多岐にわたり、計十八種類にも及ぶ。
さらに、九〇年代以降だけでも腎臓がん、急性膵炎、膀胱がん、前立腺がん、腸閉塞、脳梗塞、気管支拡張症と、次々と大病を患った。
粟粒性結核を患っていたためもともと身体は強くない。
このような状況下にある橋本が、百歳を間近に控えてもなお書き続けたというのは、尋常ならざる執念というより他にない。」

「鬼」はこの世に無数にいるらしい。
「8月は 6日 9日 15日」と言う。
「戦争」という名の、人間が造りだした「鬼」が、すぐ近くまでやって来ているような気がする。
石を積もう、石を。
「鬼」が崩しきれぬほどの、たくさんの石を。




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Posted by 迷道院高崎 at 06:00
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