2024年08月17日

初めの中山道(最終回)

今日は下中居町「普門寺」からのスタートです。

ここから倉賀野「永泉寺」までの道筋を、明治四十年(1907)の地図で辿ってみましょう。
初めの中山道(最終回)
すこぶるシンプルな道筋です。

ところがどっこい、この道筋を現在辿ろうとすると、これがすこぶる悩ましいのです。
というのも、この辺の土地開発は著しく、新しい道が網の目のように造られて、昔の道は皆無と言うような状態で。
初めの中山道(最終回)

それでも何とか断片でも見つからないかと思って地図を睨んでいると、「普門寺」の南に「ごほんつじ公園」という、気になる名前の公園がありました。
初めの中山道(最終回)
「ごほんつじ」というのは、たぶん「五本辻」なんでしょうが、その近辺に「五本辻」はありません。

う~~ん、と思いながら明治四十年の地図を見ると、あるじゃありませんか「五本辻」が!
初めの中山道(最終回)
「ごほんつじ公園」よりもちょっと東になりますが、たぶんここでしょう。

となると、この「五本辻」は現在のどこなのか。
「普門寺」からの方角と距離、下之城「徳昌寺」との位置関係から推測すると、おそらくここだと思われます。
初めの中山道(最終回)

この推測が正しいとすれば、「普門寺」から「永泉寺」までの「初めの中山道」はこんなルートだったんじゃないでしょうか。
初めの中山道(最終回)

では、歩いてみましょう。
「普門寺」を背にして、門前を南へ。
初めの中山道(最終回)

170mほど行くと「ごほんつじ公園」があります。
初めの中山道(最終回)

公園をぐるっと巻いて、南側の道を東へ進みます。
初めの中山道(最終回)

200mほど行ったここが、むかし「五本辻」だったんじゃないかと思う所です。
これを斜め右に進みます。
初めの中山道(最終回)

左にある公園は「塚之越公園」だそうです。
初めの中山道(最終回)
気になる名前ですが、由来は分かりません。

180mほど行くと、中居団地から来る道と交差します。
初めの中山道(最終回)
右の木立の中は、「第一パン」高崎工場です。

さらに200mほど直進すると、矢中から来る道とぶつかるので、ここを右折します。
初めの中山道(最終回)

右折するとすぐ、倉賀野バイパスの大きな信号に出ます。
初めの中山道(最終回)
角には「第一パン」のアウトレット店。
品出し時間になると、お買い得のパンを求める方々が押し掛けます。

倉賀野バイパスを渡って250mほど行くと「矢中踏切」
高崎線と八高線が頻繁に通過し、貨物車の入れ替えなどもあるので、時間帯によっては開かずの踏切になります。
初めの中山道(最終回)
右前方の森が「永泉寺」です。
この森に住みついていたムジナが、開通したての鉄道の騒音に悩まされ、機関車に化けて運転士をおどかしたという有名な伝説があります。
ブログ駆け出しの頃に書いた記事でどうぞ。
  ◇どきっ!

今でも何だか。ムジナが住んでいそうな森です。
初めの中山道(最終回)

「永泉寺」の前を過ぎれば、400mほどで倉賀野上町に着きます。
初めの中山道(最終回)

さて、本町三丁目から「初めの中山道」を辿って参りましたが、その道のりは約6.5㎞でした。

では「新しい中山道」はというと、約5.6㎞です。
「初めの中山道」より1㎞も短く、ほぼ一本道で、杉・松並木も整備され、途中の粕沢には「立場茶屋」もあったということですから、そりゃ「初めの中山道」の方は忘れられちゃいますよね。

ということで、「初めの中山道」探しはここまでに。


【今日の散歩道】
初めの中山道(最終回)





同じカテゴリー(◆高崎探訪)の記事画像
遠構え散歩(1)
初めの中山道(3)
初めの中山道(2)
初めの中山道(1)
聖石の水神様
徳川忠長 正室の供養塔(2)
同じカテゴリー(◆高崎探訪)の記事
 遠構え散歩(1) (2024-09-07 06:00)
 初めの中山道(3) (2024-07-27 06:00)
 初めの中山道(2) (2024-07-13 06:00)
 初めの中山道(1) (2024-06-22 06:00)
 聖石の水神様 (2024-06-08 06:00)
 徳川忠長 正室の供養塔(2) (2023-12-09 06:00)

Posted by 迷道院高崎 at 06:00
Comments(0)◆高崎探訪中山道
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
初めの中山道(最終回)
    コメント(0)