読者のみなさん、明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申しあげます。
2010年最初の出発地は、福島町の「幸福神社」からです。
「幸福神社」から北へ進み、丁字路に突き当ると、目の前に大層立派なお屋敷が現れます。
この辺りから、中泉町に入ります。
きっと、昔から名のあるお屋敷なのでしょうが、旧三国街道沿いにこのような風景を残してくれているのは、嬉しいことです。
このお屋敷に沿って角を曲がるのが、旧三国街道です。
如何にも、という風景が目に入ってきます。
何ともいい佇まいです。
ただ、何とも人通りがありません。
ま、宿場ではありませんので、昔からこうなんでしょうが、茶店の一軒でも欲しいところです。
あ、この手前には、「居酒屋 源」という趣きのあるお店はありました。
大きな蔵の建つ角に、「横山林蔵翁頌徳碑」という大きな石碑が建っています。
傍らに建つ碑文の解説によると、横山林蔵という人は、明治八年(1875)の生まれで、お蚕の品種改良や薪火法という飼育法を考案し、普及に努めた人だそうです。
また、私財を投げ打って架橋や道路改修にも努めたとあります。
昔の財を成した人は、必ず、何かしら社会に還元したものなんですね。
ここを真っすぐ北へ進むと、稲荷神社があります。
鳥居にも神殿にも神社の名前が書いてありませんが、群馬町誌によると「久次郎稲荷大明神」というようです。
畔見氏の氏神として祀られたとありますが、この畔見家、冒頭に書いた立派なお屋敷がそうです。
また、前述の「横山林蔵翁頌徳碑」は、大正二年(1913)にこの神社の前に建てられたものだそうですが、平成十二年(2000)の都市計画に伴い、現在地に移されたようです。
このあと、稲荷神社手前を左折し、けやき公園に突き当って右折するのが、旧三国街道です。
道なりに北へ進むと、三ツ寺町に入り、前橋・安中線に出る直前を左折して、唐沢川に架かる「奥川橋」手前で、前橋・安中線を横断します。
唐沢川には、豊かで清冽な水が流れています。
護岸を覆う三面コンクリートは如何にも野暮で、この川には似合いません。
唐沢川に沿って200mほど進むと、路傍に石柱がいくつか建っている場所に出ます。
ここには、旧三国街道の道標があり、「右金古 左高嵜(たかさき)」と書かれてあるのでしょうが、風化が進んでいます。
今の内に保全しておいた方がよいのではないかと、心配になります。
左の写真は双体道祖神のようですが、見るも無残な姿になっています。
見ようによっては、「ムンクの叫び」のようにも見え、何かを訴えているかのようでもありますが、後ろに建つ石柱にはこう書かれています。
「この石像は三ツ寺の道祖神です。平成元年(1989)の道路改良により、この南100mの安中線端にあったものを、この地に移転したものです。」
隣の小高くなった小スペースは、
「三ツ寺たかっぱし公園」とあります。
「たかっぱし」とは何でしょう?
土地改良記念の大きな碑の裏側に、こんなことが刻まれていました。
「この記念碑の北方15mの処に、『たかっぱし』と呼ばれる高さ10m・長さ13m・幅2mの木橋があり、この橋からは大勢の人々が転落しましたが、不思議と怪我をする人がなく、また沢山の蛇の住み家でもあり、近隣の村々にも有名な橋とされてきました。」
唐沢川が、如何に深い谷だったかということが分かります。
10mというと、水泳競技の高飛び込みでも、一番高い台です。
そこに、幅2mで長さ13mの橋ですか?
大勢の人が転落したというと、きっと欄干も付いてなかったんでしょう。
空っ風にでも吹かれたら、そりゃ落ちるでしょうね。
それにしても、落ちても怪我をしないというのは不思議な話です。
まさか、沢山の蛇がクッション代わりになったとか・・・、え゛ーーーっ?!
今残っていれば、いい観光名所になっていたかも知れませんね。
本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申しあげます。
2010年最初の出発地は、福島町の「幸福神社」からです。
「幸福神社」から北へ進み、丁字路に突き当ると、目の前に大層立派なお屋敷が現れます。
この辺りから、中泉町に入ります。
きっと、昔から名のあるお屋敷なのでしょうが、旧三国街道沿いにこのような風景を残してくれているのは、嬉しいことです。
このお屋敷に沿って角を曲がるのが、旧三国街道です。
如何にも、という風景が目に入ってきます。
何ともいい佇まいです。
ただ、何とも人通りがありません。
ま、宿場ではありませんので、昔からこうなんでしょうが、茶店の一軒でも欲しいところです。
あ、この手前には、「居酒屋 源」という趣きのあるお店はありました。
大きな蔵の建つ角に、「横山林蔵翁頌徳碑」という大きな石碑が建っています。
傍らに建つ碑文の解説によると、横山林蔵という人は、明治八年(1875)の生まれで、お蚕の品種改良や薪火法という飼育法を考案し、普及に努めた人だそうです。
また、私財を投げ打って架橋や道路改修にも努めたとあります。
昔の財を成した人は、必ず、何かしら社会に還元したものなんですね。
ここを真っすぐ北へ進むと、稲荷神社があります。
鳥居にも神殿にも神社の名前が書いてありませんが、群馬町誌によると「久次郎稲荷大明神」というようです。
畔見氏の氏神として祀られたとありますが、この畔見家、冒頭に書いた立派なお屋敷がそうです。
また、前述の「横山林蔵翁頌徳碑」は、大正二年(1913)にこの神社の前に建てられたものだそうですが、平成十二年(2000)の都市計画に伴い、現在地に移されたようです。
このあと、稲荷神社手前を左折し、けやき公園に突き当って右折するのが、旧三国街道です。
道なりに北へ進むと、三ツ寺町に入り、前橋・安中線に出る直前を左折して、唐沢川に架かる「奥川橋」手前で、前橋・安中線を横断します。
唐沢川には、豊かで清冽な水が流れています。
護岸を覆う三面コンクリートは如何にも野暮で、この川には似合いません。
唐沢川に沿って200mほど進むと、路傍に石柱がいくつか建っている場所に出ます。
ここには、旧三国街道の道標があり、「右金古 左高嵜(たかさき)」と書かれてあるのでしょうが、風化が進んでいます。
今の内に保全しておいた方がよいのではないかと、心配になります。
左の写真は双体道祖神のようですが、見るも無残な姿になっています。
見ようによっては、「ムンクの叫び」のようにも見え、何かを訴えているかのようでもありますが、後ろに建つ石柱にはこう書かれています。
「この石像は三ツ寺の道祖神です。平成元年(1989)の道路改良により、この南100mの安中線端にあったものを、この地に移転したものです。」
隣の小高くなった小スペースは、
「三ツ寺たかっぱし公園」とあります。
「たかっぱし」とは何でしょう?
土地改良記念の大きな碑の裏側に、こんなことが刻まれていました。
「この記念碑の北方15mの処に、『たかっぱし』と呼ばれる高さ10m・長さ13m・幅2mの木橋があり、この橋からは大勢の人々が転落しましたが、不思議と怪我をする人がなく、また沢山の蛇の住み家でもあり、近隣の村々にも有名な橋とされてきました。」
唐沢川が、如何に深い谷だったかということが分かります。
10mというと、水泳競技の高飛び込みでも、一番高い台です。
そこに、幅2mで長さ13mの橋ですか?
大勢の人が転落したというと、きっと欄干も付いてなかったんでしょう。
空っ風にでも吹かれたら、そりゃ落ちるでしょうね。
それにしても、落ちても怪我をしないというのは不思議な話です。
まさか、沢山の蛇がクッション代わりになったとか・・・、え゛ーーーっ?!
今残っていれば、いい観光名所になっていたかも知れませんね。
【今日の散歩道】