2010年01月01日

旧三国街道 さ迷い道中記(6)

読者のみなさん、明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお付き合いのほど、お願い申しあげます。

2010年最初の出発地は、福島町「幸福神社」からです。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)「幸福神社」から北へ進み、丁字路に突き当ると、目の前に大層立派なお屋敷が現れます。

この辺りから、中泉町に入ります。
きっと、昔から名のあるお屋敷なのでしょうが、旧三国街道沿いにこのような風景を残してくれているのは、嬉しいことです。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)このお屋敷に沿って角を曲がるのが、旧三国街道です。

如何にも、という風景が目に入ってきます。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)何ともいい佇まいです。
ただ、何とも人通りがありません。

ま、宿場ではありませんので、昔からこうなんでしょうが、茶店の一軒でも欲しいところです。
あ、この手前には、「居酒屋 源」という趣きのあるお店はありました。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)大きな蔵の建つ角に、「横山林蔵翁頌徳碑」という大きな石碑が建っています。

傍らに建つ碑文の解説によると、横山林蔵という人は、明治八年(1875)の生まれで、お蚕の品種改良や薪火法という飼育法を考案し、普及に努めた人だそうです。
また、私財を投げ打って架橋や道路改修にも努めたとあります。
昔の財を成した人は、必ず、何かしら社会に還元したものなんですね。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)ここを真っすぐ北へ進むと、稲荷神社があります。

鳥居にも神殿にも神社の名前が書いてありませんが、群馬町誌によると「久次郎稲荷大明神」というようです。
畔見氏の氏神として祀られたとありますが、この畔見家、冒頭に書いた立派なお屋敷がそうです。

また、前述の「横山林蔵翁頌徳碑」は、大正二年(1913)にこの神社の前に建てられたものだそうですが、平成十二年(2000)の都市計画に伴い、現在地に移されたようです。

このあと、稲荷神社手前を左折し、けやき公園に突き当って右折するのが、旧三国街道です。
道なりに北へ進むと、三ツ寺町に入り、前橋・安中線に出る直前を左折して、唐沢川に架かる「奥川橋」手前で、前橋・安中線を横断します。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)唐沢川には、豊かで清冽な水が流れています。

護岸を覆う三面コンクリートは如何にも野暮で、この川には似合いません。

唐沢川に沿って200mほど進むと、路傍に石柱がいくつか建っている場所に出ます。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)旧三国街道 さ迷い道中記(6)
ここには、旧三国街道の道標があり、「右金古 左高嵜(たかさき)」と書かれてあるのでしょうが、風化が進んでいます。
今の内に保全しておいた方がよいのではないかと、心配になります。

旧三国街道 さ迷い道中記(6)左の写真は双体道祖神のようですが、見るも無残な姿になっています。

見ようによっては、「ムンクの叫び」のようにも見え、何かを訴えているかのようでもありますが、後ろに建つ石柱にはこう書かれています。
「この石像は三ツ寺の道祖神です。平成元年(1989)の道路改良により、この南100mの安中線端にあったものを、この地に移転したものです。」

旧三国街道 さ迷い道中記(6)隣の小高くなった小スペースは、
「三ツ寺たかっぱし公園」とあります。

「たかっぱし」とは何でしょう?
土地改良記念の大きな碑の裏側に、こんなことが刻まれていました。

「この記念碑の北方15mの処に、『たかっぱし』と呼ばれる高さ10m・長さ13m・幅2mの木橋があり、この橋からは大勢の人々が転落しましたが、不思議と怪我をする人がなく、また沢山のの住み家でもあり、近隣の村々にも有名な橋とされてきました。」

唐沢川が、如何に深い谷だったかということが分かります。
10mというと、水泳競技の高飛び込みでも、一番高い台です。
そこに、幅2mで長さ13mの橋ですか?
大勢の人が転落したというと、きっと欄干も付いてなかったんでしょう。
空っ風にでも吹かれたら、そりゃ落ちるでしょうね。
それにしても、落ちても怪我をしないというのは不思議な話です。
まさか、沢山のがクッション代わりになったとか・・・、え゛ーーーっ?!

今残っていれば、いい観光名所になっていたかも知れませんね。

【今日の散歩道】

旧三国街道 さ迷い道中記(6)





同じカテゴリー(三国街道)の記事画像
番外 高崎の孝女みえ
三国街道 めぐり会い
三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木)
号外!「企画展 三国街道と宿場」
三国街道 帰り道(最終回)
三国街道 帰り道(18)
同じカテゴリー(三国街道)の記事
 番外 高崎の孝女みえ (2017-05-24 12:21)
 三国街道 めぐり会い (2010-07-16 06:51)
 三国街道史跡めぐり(小鳥・大八木) (2010-06-14 10:47)
 号外!「企画展 三国街道と宿場」 (2010-06-06 06:54)
 三国街道 帰り道(最終回) (2010-04-09 07:38)
 三国街道 帰り道(18) (2010-04-07 07:34)

Posted by 迷道院高崎 at 00:27
Comments(14)三国街道
この記事へのコメント
明けましておめでとうございます。
今年も隠士のディープな高崎探検を楽しみにしております。
      夢寅 拝
Posted by 夢寅  at 2010年01月01日 09:38
>夢寅さん

おめでとうございます!
今年もよろしくお付き合いください。

空っ風と日暮れの早さで、取材は難儀しております。
おまけに、年末年始は取材にも出られず、撮りためた写真と資料で、何とか記事をこなしています。

春が待ち遠しいですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月01日 09:56
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますm(__)m
いいことが沢山ありますように
Posted by ぼらぼら  at 2010年01月01日 14:53
>ぼらぼらさん

おめでとうございます!
こちらこそよろしくお願い致します。

今年はどんな年になるんでしょうか。
良い年にしたいですね!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月01日 19:02
明けましておめでとうござます。
本年もなにとぞよろしくお願いします。

さっそくご活躍ですねえ!!

柳家紫文師匠の高崎観光大使就任式が楽しみです!!
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月01日 19:45
>昭和24歳さん

おめでとうございます!
昨年同様、本年もよろしくお願い申し上げます。

高崎の三国街道、まだまだ見所がありそうです。
これは、整備次第でいい観光資源になりますよー!

紫文さんの大使就任、待ち遠しいですね。
期待して、待ちましょう!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月01日 20:11
群馬町保渡田には中学の時の国語の教師(1年時の担任)・・・・・
中島のマッチャンがいます。健在でしょうか。
群馬町保育園のすぐ近くです。

中島松男先生です。

まあ、健在でおられるなら御年そろそろ米寿かも・・・・・・
確か昭和35年当時30代だったから。
当然群馬町には精通されておられるはずです。
隅々まで・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月02日 08:50
昨年よりROMさせていただいておりました、高崎市内在住のキャトレールと申します。

自分も自転車で市内のいろいろな場所を探検するのが大好きです。

管理人様独自の視点が素晴らしいですね。
今後ともよろしくお願いいたします。

ちなみに1959年9月生まれ♂であります。
Posted by キャトレール  at 2010年01月02日 14:32
おめでとうございます
楽しみにしています
寒いのですが
風邪をひかないよう独自の視点でがんばってください
Posted by キューピー  at 2010年01月02日 18:01
>昭和24歳さん

国語の中島松男先生・・・。
一年位で転勤されたんでしょうか?
国語の中島清一先生には、叱られたことがありますが・・・。

今ご存命で、このブログを見ていたら「何をいい加減なことを!」って、叱られちゃうかも知れませんね。

懐かしさをありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月02日 20:58
>キャトレールさん

コメントありがとうございました!
昨年からご訪問頂いてるとのこと、ありがたいことです!

自転車で市内探検されてらっしゃるそうで、もしかするとどこかでお会いしてるか、これからお会いするかもしれませんね。

よろしくお付き合いの程、お願い申しあげます!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月02日 21:14
>キューピーさん

おめでとうございます!
いつも温かいコメント、嬉しいです!

キューピーさんの絵も、とても独自的で素敵ですよ!
その絵に添えられている言葉も、好きです。

これからも、素敵な作品描き続けてくださいね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月02日 21:23
国語の担任といえば、2年、3年が小田切ミヤコ先生でした・・・・・
こちらも旧群馬町から二中へ通勤されてましたね。
貴兄投稿(2009年09月11日)「九蔵町の一里塚」にもある石原征明先生がもっとも高崎市史にはお詳しいようで・・・・・
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2010年01月03日 00:27
>昭和24歳さん

あー、小田切先生、憶えてます、憶えてます。
小田切先生も群馬町でしたか。
どうしてらっしゃるでしょうね。

石原先生の著書には、ちょいちょい助けられてます。
まだまだ、ご活躍のようですね。

話は変わりますが、柳家紫文さんのオピニオン21、今日の上毛に載りましたね!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年01月03日 09:11
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
旧三国街道 さ迷い道中記(6)
    コメント(14)