2018年06月17日

史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)

新町の南端と言っていいでしょう、藤岡に近い字「実見塚」(じっけんづか)に、「首塚八幡宮」があります。
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)

「実見塚」という字名は、看板にもあるように、神流川合戦で討ち取った者の「首実見」をし、それを埋めた「塚」があったという言い伝えからきているようです。

前からある史跡看板には、ここの西に「胴塚」もあると書いてあります。
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)

行って見ると、民家と民家の間の路地の奥に、それらしい鳥居が見えます。
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)

そこは藤岡市の指定史跡で、「胴塚稲荷古墳」となっています。
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)
こちらの看板には、逆に「首塚」のことが書かれています。

ところがその「首塚」ですが、どうも首を埋めたのはここじゃなさそうなんです。
「新町明治百年史」に、こんな話が載っています。
前年(明治四十三年/1910)の大洪水の時に、森新田方面の堤防を突破した多量の濁流が、鐘紡工場付近に押しよせ、さらに宮本町(1区)仲町(2区)に流れ込み、泉横丁は当時坂道であったので、急流な川瀬に変じた。
このため泉横丁道路の土砂が流失、水のひいた後はくぼ地になり、悪道路となっていた。
この補修のため新町農会の青年の方方が奉仕し、明治44年春早早堂場の塚を取り崩し、この土砂を道路に運び地ならしをした。
その内塚の底に、サレコウベ(どくろ)が重なり合って埋もれていたので、青年たちを驚かせた。
首の部分だけ数百余。骨の腐朽程度から3~400年経たものと思われ、成人のものらしいとのことである。馬の大たい骨らしいもの数十あったが、『どくろ』と同じくらいの古さだったとのことである。
町の古老によれば堂場の塚は往時合戦の首塚であったという伝説を、年寄りから語り聞いていたとのこと。
これ等の『どくろ』は戦死者の首級と思われるので、当時堂場墓地の川へりに埋葬供養した。(略)
堂場の塚は現在境野翁頌徳碑あたりにあり、高さ1丈5・6尺(4.5~4.8m)位で、塚の上に小さな古い石ほこらが1個あった。
昭和39年宝勝寺は開山420年の記念行事の内にこの埋葬地付近へ『神流川合戦戦没者供養塔』を建立した。」

ということで、骨が出てきたのは「堂場」という所だそうなんです。
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)

崩した塚があったのは「境野翁頌徳碑」あたりだというので、字「堂場」と思しき地域を歩き回ってみましたが、その碑が見つかりません。
「堂場郵便局」や、昔からやっていそうな店に飛び込んで聞いてみましたが、そんな碑は見たことがないと言います。

新町支所へも行ってお尋ねしましたが、初めて聞く話だということです。
それでも、調べてみて分かったら連絡を頂けるというので、名刺を渡しておきました。
すると1時間ほどして電話があり、「碑のある場所が分かった。」というのです。

新町商工会の所に「堂場墓地」というのがあり、そこに「境野清衛」という人の碑が建っているということでした。
しかし、そこは字「堂場」から北へ直線距離で1kmも離れています。
「?」とは思いましたが、行って見ることにしました。

長くなりそうなので、次回へ続けます。


【首塚八幡宮・胴塚稲荷】
史跡看板散歩-97 首塚八幡宮(1)





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この記事へのコメント
この場所、すなわち水宮神社の少し南。関越道の高い壁の脇ですね。昨日もここを自転車で通過しました。こんな史跡があるんですね。
ここは良く通る所なんで次回のサイクリング時に寄ってみます。
このブログのおかげで随分と郷土史の知識が増えました。高校の同期のに郷土史を研究する綿貫町に住むO氏と会ってもそこそこに話を合わすことができます。Oは貴兄を知っているらしい。
Posted by toboketaG  at 2018年06月22日 17:41
>toboketaGさん

ああ、そうですそうです。
関越道側道の一本東の道ですね。

綿貫町のOさん。
郷土史を研究されてる方ですか。
お会いしてるのかも知れませんね。
よろしくお伝えください。

こんなブログでも、お役に立てていたなら嬉しいです。
これからもお付き合いくださいませ。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2018年06月22日 21:05
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