「安楽寺」に続き、木部町の「心洞寺」です。
参道入口に、「木部城主之廟所」という石柱が建っています。
史跡看板は、山門を潜ったすぐ左に建っています。
そこを左に折れた奥が、木部城主・木部駿河守範虎の廟所と家臣の墓です。
看板には「五輪塔」とありますが、これって「五輪塔」なのかなぁ・・・。
家臣の墓の方にあるのが「五輪塔」じゃないかと。
しかも、範虎のより立派に見える「宝篋印塔」もあるし・・・。
木部氏については、内山信次氏著「徐徐漂(ぶらり)たかさき」にこうあります。
木部氏が「木部館」から「木部城」へ移り、跡地へ「心洞寺」を移したのが天正元年(1573)という訳です。
看板の最後に、「木部姫伝説」の話が出てきます。
これは、いつも拝読している「南八幡の案内人」さんのブログに、紙芝居付きで紹介されていますので、そちらをご覧ください。
◇木部姫伝説(紙芝居民話)(南八幡の案内人)
「心洞寺」の石垣と土塁には、雷神が祀られているそうです。
その石垣に、「雨乞い祈願」のことを刻んだ石碑が埋め込まれています。
「心洞寺」でひときわ目を引くのが、この山門です。
正徳五年(1715)の火災の時、焼失を免れたものだそうで。
山門の天井では、龍が睨みをきかしています。
屋根の上でも、鬼が睨んでいます。
ところで、鬼の頭の上の字が読めません。
旁が「亀」なら、「秋」の異体字らしいんですが・・・。
どなたか、ご教示くださいませ。
参道入口に、「木部城主之廟所」という石柱が建っています。
史跡看板は、山門を潜ったすぐ左に建っています。
そこを左に折れた奥が、木部城主・木部駿河守範虎の廟所と家臣の墓です。
看板には「五輪塔」とありますが、これって「五輪塔」なのかなぁ・・・。
家臣の墓の方にあるのが「五輪塔」じゃないかと。
しかも、範虎のより立派に見える「宝篋印塔」もあるし・・・。
木部氏については、内山信次氏著「徐徐漂(ぶらり)たかさき」にこうあります。
「 | 木部氏は石見の国(島根県)の木部郷の出で、源頼朝の弟範頼の孫、吉見義世の子孫とされています。 |
戦国も終りに近い頃、古河公方成氏の縁をたよりに、関東に移りました。 | |
範時(或は範次)は、はじめ山名八幡宮の裏山の一つ北の山の、鎌倉時代のはじめ新田義重の子山名範義の築いた、山名城の址に入ったようですが、当時は山城から平城に移る時代でしたので、平地に城を築いて、木部に移り、山名は戦時の要害城として利用したようです。 | |
そのことは、現在の安楽寺は「山ノ上」から、心洞寺は「山名の金清寺平」から、木部氏の懇望により、天正の初めこの地に移ったとの伝えが裏付けています。」 | |
木部氏が「木部館」から「木部城」へ移り、跡地へ「心洞寺」を移したのが天正元年(1573)という訳です。
看板の最後に、「木部姫伝説」の話が出てきます。
これは、いつも拝読している「南八幡の案内人」さんのブログに、紙芝居付きで紹介されていますので、そちらをご覧ください。
◇木部姫伝説(紙芝居民話)(南八幡の案内人)
「心洞寺」の石垣と土塁には、雷神が祀られているそうです。
その石垣に、「雨乞い祈願」のことを刻んだ石碑が埋め込まれています。
「心洞寺」でひときわ目を引くのが、この山門です。
正徳五年(1715)の火災の時、焼失を免れたものだそうで。
※ | この看板では、「心洞寺」は文正元年(1465)建立となっている。 |
山門の天井では、龍が睨みをきかしています。
屋根の上でも、鬼が睨んでいます。
ところで、鬼の頭の上の字が読めません。
旁が「亀」なら、「秋」の異体字らしいんですが・・・。
どなたか、ご教示くださいませ。
【心洞寺】