倉賀野の「永泉寺」から中山道手前の比較的小規模な町内が、「田子屋」です。
「永泉寺」東の二股道を左へ行くと、建物の壁にへばり付くように、二十二夜塔と馬頭観音碑が建っています。
ここが「田子屋公民館」で、今回の史跡看板「天下一角兵衛田子屋の獅子」があります。
倉賀野の各町内は屋台を持っていますが、「田子屋」は持っていません。
その代わり、倉賀野神社の祭礼で五台の屋台が巡行する時は、いつも「田子屋の獅子」がその先頭を進んだということです。
「天下一角兵衛」というのは獅子舞の流派のことで、現在高崎の獅子舞保存会に登録されている16組の内、「天下一角兵衛」を名乗っているのは田子屋と上中居だけだそうです。
もっとも、上中居の獅子舞は天保三年(1832)に田子屋から指導されたものだと言われています。
これについては面白い話があって、指導する時に田子屋で舞っている通りではなく、舞と囃子の組順を変えて教えたということです。
なので、同じ演目で同じ囃子を演奏しても、田子屋と上中居では違う舞いなのだそうです。
因みに、他の地域の獅子舞の曲数は25~26曲であるのに、田子屋では75曲もあるそうです。
「天下一角兵衛」流師範としての自負を感じます。
そんな「田子屋の獅子」も後継者不足のため、十数年途絶えた時期がありますが、平成十七年(2005)秋の倉賀野神社七百五十年祭を機に復活し、以降春秋例大祭に奉納されているそうです。
伝統芸能の継承が難しい時代、永く続いていってほしいと思います。
「永泉寺」東の二股道を左へ行くと、建物の壁にへばり付くように、二十二夜塔と馬頭観音碑が建っています。
ここが「田子屋公民館」で、今回の史跡看板「天下一角兵衛田子屋の獅子」があります。
倉賀野の各町内は屋台を持っていますが、「田子屋」は持っていません。
その代わり、倉賀野神社の祭礼で五台の屋台が巡行する時は、いつも「田子屋の獅子」がその先頭を進んだということです。
「天下一角兵衛」というのは獅子舞の流派のことで、現在高崎の獅子舞保存会に登録されている16組の内、「天下一角兵衛」を名乗っているのは田子屋と上中居だけだそうです。
もっとも、上中居の獅子舞は天保三年(1832)に田子屋から指導されたものだと言われています。
これについては面白い話があって、指導する時に田子屋で舞っている通りではなく、舞と囃子の組順を変えて教えたということです。
なので、同じ演目で同じ囃子を演奏しても、田子屋と上中居では違う舞いなのだそうです。
因みに、他の地域の獅子舞の曲数は25~26曲であるのに、田子屋では75曲もあるそうです。
「天下一角兵衛」流師範としての自負を感じます。
そんな「田子屋の獅子」も後継者不足のため、十数年途絶えた時期がありますが、平成十七年(2005)秋の倉賀野神社七百五十年祭を機に復活し、以降春秋例大祭に奉納されているそうです。
伝統芸能の継承が難しい時代、永く続いていってほしいと思います。
【天下一角兵衛田子屋の獅子史跡看板】