2014年10月12日

駅から遠足 観音山(7)

「高崎」という地名由来の続きです。
「龍広寺説」「恵徳寺説」「鷹崎説」の他に、もう一つの説があるというお話しです。

おそらくその説を最初に唱えた人物は、あの「早川圭村」です。
大正十二年(1923)発行の「上毛及上毛人 第78号」に、「高崎と云ふ地名 慶長年中築城當時の命名なりと云へる説の疑義」という題で、自説を述べています。
井伊直政が和田の地名を佳名と變更せんと欲して諮問したるが、白庵にせよ英潭にせよ高崎可なりと答へたるは、想ふに高崎と云ふ文字を新に撰定して答へたるには非ずして、其當時或は公稱にはあらざりしかも知れざれども、現在に高崎或は烏川の兩岸高き處一帶を高崎と呼び來りたるを以て、其れを取て高崎と命名すべしと答へたるならん、」

白菴にせよ英潭にせよ、同じ「高崎」という地名を薦めたということは、新たに作り出した地名ではなく、既にその辺りが「高崎」と呼ばれていたからである、という訳です。

続けて、そう考える理由について述べています。
高崎の地勢を按ずるに、烏川は其突出せる絶壁下を貫流し、對岸遙に片岡の丘陵と對峙し此中間は平坦なる低地なり、(略)
海洋或は河川に突出したる地をと呼べるは普通一般にして其例證少なからず、故に斷岸が突出したる地勢を形容して此邊一帶を高崎と稱したる者ならん。」

たしかに直政が先に提示した地名も「松が崎」、鷹を飛ばして城の場所を決めたという説でも「鷹崎」と、いずれも「崎」が付いています。
「高」についても白菴「成功高大」から、英潭「高さには限りがない」からと、その理由が異なるにも拘らず、同じ「高崎」という名前を薦めているのですから、この説、一理あるかも知れません。

圭村は、「それだけなら自分の憶測に過ぎないが、動かざる証拠がある。」と、次の書物の存在を挙げています。
其證據とは何ぞや、曰く信濃宮傳(しなののみやでん)と稱する小冊子あり、信濃宮とは後醍醐天皇第三皇子宗良親王を稱し奉るなり、
其御傳記應永十年(1403)四月の條に、高崎安中碓氷等の敵を衝いてやうやうに信濃に入らせ給ひけり云々とあり、此御傳記は著述の年月著者の氏名は有らざるも、其文章と記事の体裁等より、察するに、蓋し足利末世頃の著作ならん、
又永祿十年(1567)の北越家書高崎の名あり、北越家書は帝國大學にて編纂せる編年史に引用したり、
箕輪軍記箕輪落城後の事を記したる條項にも高崎の名あるも、此書は信を措き難きも、信濃宮傳と北越家書は充分信用すべき者なり」

大正四年(1915)に信濃教育会下伊那部会が古書・古記録・古文書を収集して活字化した「伊那史料叢書」の中に、「信濃宮傳」が収められています。
駅から遠足 観音山(7)

圭村は、こう結論付けます。
依て考ふるに上毛の高崎も天然の地形に依り大分縣別府の高崎山、千葉縣安房の高崎の如く夙に地名として呼びたる者ならん
殊に信濃宮傳、北越家書に高崎の名稱存するより察すれば、假令(たとえ)公稱には非るも土地の人々が常に稱呼しつゝ在りしを、白庵或は英潭が取て以て、高崎と命名すべしと井伊直政の諮に答へし者ならんと信ず、
故に高崎と稱する名稱は慶長中新に命名したる者に非ず古來稱し來りたる名稱ならん。

つまり、「高崎」という地名は、直政が命名する以前から使われていたんだよ、という訳です。

そして、最後にこう付け加えています。
記して以て四方有識諸君の埀教を仰ぐ。」

この説に、自信があるんでしょうね。

たぶん圭村の説を意識したのでしょう、昭和二年(1927)に発行された「高崎市史」「第三節 和田ト高崎トノ名稱」の項には、「龍広寺説」「惠德寺説」「鷹崎説」に加えて、「高崎既存説」も取り上げられています。
そこにはさらに、圭村が挙げた以外の書物や古文書も紹介されています。

さて、それについてはまた次回、ご紹介することといたしましょう。





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Posted by 迷道院高崎 at 08:32
Comments(2)観音山遠足
この記事へのコメント
「鷹崎城」も重厚でかっこいい名前ですね^^。
ところで「伊那史料叢書」、よく見つけられましたねー。
「高崎安中碓氷等の敵を・・・」とありますが、安中の地名由来も、一度ひもといてみたくなりました。
Posted by 風子風子  at 2014年10月15日 19:52
>風子さん

「安中」の地名由来も、諸説あるらしいですね。
風子さんのひもとき、楽しみにしてますよ(^^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2014年10月15日 21:16
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