
「高崎白衣大観音」は、120年の歴史を持つ高崎の名門企業、「井上工業(株)」の創業者、井上保三郎氏が私財を投じて建てたものである。
保三郎氏の銅像は、「観音さま」の足元で高崎の町を見下ろし、一緒に町の発展を願っているように見える。

その一つは、高崎を観光で栄えさせようという構想である。
「高崎は交通都市で各線が集中する。
市の西方には、なだらかな南北に長く横たわる丘陵が、汽車の窓からよく見える。
この山上に大きなものを建てれば、「何であろう!」と、高崎を通過する旅客の眼を引く。
この自然の地形を利用すべきである。」
と、考えたようだ。

高崎第15連隊の兵士は、日露戦争の旅順攻撃に於いて、多大な犠牲者を出している。
山頂駐車場には、その慰霊の塔が建てられている。
昔は「忠霊塔」と呼んでいたが、今は「平和塔」という名前に改められている。

保三郎氏は、大観音建立の翌年、日露戦争で軍神と崇められた乃木希典大将の銅像を、観音山に建てている。
当時の日本人の、精神的退廃を憂いていたのであろう。
日本人の精神的基軸として、武士道精神の鑑ともいえる乃木大将の銅像を建てることで、人々への啓蒙を図ったのかも知れない。

皮肉と言えば、皮肉な話である。
今、乃木大将に代わってそこに建っているのは、高崎の篤志実業家、田村今朝吉氏の銅像である。※
※ | この記述は誤り。こちらをご参照ください。 |
井上工業(株)は昨年破産し、120年の歴史に幕を降ろした。
一方、高崎の町は、さしたる哲学も持たぬまま、再開発という名のもとに、歴史遺産の破壊を続けている。
山頂に立つ「観音さま」と「保三郎翁」は、どんな気持ちでそれを見ているのであろう。
(参考図書:横田忠一郎氏著「高崎白衣大観音のしおり」 発行:あさを社)