2009年01月27日

「観音さま」を建てた人

「観音さま」を建てた人今、「観音さま」を建てた人が誰か知っている人は、ある程度のご年配かも知れない。

「高崎白衣大観音」は、120年の歴史を持つ高崎の名門企業、「井上工業(株)」の創業者、井上保三郎氏が私財を投じて建てたものである。

保三郎氏の銅像は、「観音さま」の足元で高崎の町を見下ろし、一緒に町の発展を願っているように見える。

「観音さま」を建てた人保三郎氏が、あのように大きな「観音さま」を建てようと思い至るには、いくつかの理由があったようである。

その一つは、高崎観光で栄えさせようという構想である。
「高崎は交通都市で各線が集中する。
市の西方には、なだらかな南北に長く横たわる丘陵が、汽車の窓からよく見える。
この山上に大きなものを建てれば、「何であろう!」と、高崎を通過する旅客の眼を引く。
この自然の地形を利用すべきである。」

と、考えたようだ。

「観音さま」を建てた人二つ目は、高崎歩兵第15連隊戦没者の慰霊供養である。

高崎第15連隊の兵士は、日露戦争の旅順攻撃に於いて、多大な犠牲者を出している。

山頂駐車場には、その慰霊の塔が建てられている。
昔は「忠霊塔」と呼んでいたが、今は「平和塔」という名前に改められている。

「観音さま」を建てた人三つ目の理由が、国民思想の善導であった。

保三郎氏は、大観音建立の翌年、日露戦争で軍神と崇められた乃木希典大将の銅像を、観音山に建てている。

当時の日本人の、精神的退廃を憂いていたのであろう。
日本人の精神的基軸として、武士道精神の鑑ともいえる乃木大将の銅像を建てることで、人々への啓蒙を図ったのかも知れない。


「観音さま」を建てた人乃木大将の銅像は、山頂駐車場から「観音さま」へ向かう参道の右、小高い所に建っていたが、戦時中の「物資供出」により再び戦地へ旅立った。
皮肉と言えば、皮肉な話である。

今、乃木大将に代わってそこに建っているのは、高崎の篤志実業家、田村今朝吉氏の銅像である。
この記述は誤り。こちらをご参照ください。

井上工業(株)は昨年破産し、120年の歴史に幕を降ろした。
一方、高崎の町は、さしたる哲学も持たぬまま、再開発という名のもとに、歴史遺産の破壊を続けている。

山頂に立つ「観音さま」「保三郎翁」は、どんな気持ちでそれを見ているのであろう。

(参考図書:横田忠一郎氏著「高崎白衣大観音のしおり」 発行:あさを社)



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Posted by 迷道院高崎 at 16:29
Comments(4)観音山
この記事へのコメント
栄枯盛衰は世の習いといいますが、保三郎さんの高崎に与えた業績は称えなければならないと思います。
音楽センターをどうするなんて最近話が上がってきているみたいですけどそんなの残すに決まっているじゃありませんか。
高崎市は音楽の町じゃなかったの?
そんな中途半端なことをしているから駄目なんだ!
未来のビジョンが見えないもん・・・と、思います。
Posted by 弥乃助弥乃助  at 2009年01月27日 19:18
>弥乃助さん

そうですよね!そうですよ!
音楽センター、絶対残すべきですよ!

残すための知恵を、もっともっと市民一体となって出し合うべきだと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年01月27日 21:59
高崎高校(中学)からは、福田赳夫、中曽根康弘という二人の大政治家を輩出しているのにも係わらず、市民の政治に対する関心があまりにも低すぎますね。

20年以上も、私利私欲の為に市政を行うような輩を首長にしたままだから、財源の当てもないまま、高層市庁舎は建てる、自分が嫌いだから高崎競馬は廃止する(その代案なし)なんて事がまかり通ってしまうのです。

高崎駅の改札に一番近い一等地?に、何故「松浦パン」が出店できたのかを考えれば、高崎がいまひとつ発展できない、文化が育たない理由が見えて来ませんか?
Posted by キレイズキ  at 2010年07月09日 14:03
>キレイズキさん

コメントありがとうございます!

2000年発行の「高崎中心市街地活性化基本方針」では、「城下町としての歴史・文化を有効に活用し、その魅力を高める」という方針が書かれています。

しかし、2008年になると「音楽文化を活かした高崎らしい中心市街地活性化」というように変化します。

確かに首長があまり長くその地位に就くのは、価値観が固定してしまうので、あまり良くないと思いますが、もしかすると、このような計画を策定する部署の問題もあるのかもしれません。

その意味では、キレイズキさんの仰るように、市民自身がもっと市政に関心を持って、意見を言わないといけませんね。
私自身も、心したいと思います。

ご意見、ありがとうございました!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年07月09日 20:57
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