
参道の両脇に「常安寺」の石門がありますが、以前は旧中山道に面して建っていたのだそうです。
大きな木が茂る一角は「常安寺」の駐車場ですが、「忠魂碑」と「忠霊塔」が並んで建っています。
「忠魂碑」は乃木希典の揮毫で、明治四十年(1907)豊岡尋常高等小学校の校庭に建てられたものだそうです。
戦後、その存在を憚ってか校庭に穴を掘って埋められてしまいましたが、後に掘出して現在の場所に設置したのだといいます。
この話を聞いて、岩鼻の「裏返え碑」のことを思い出しました。
片や「忠霊塔」は東条英機の揮毫で、昭和十七年(1942)にここに建てられています。
さすがに大きすぎて、地中に埋めることもできなかったのでしょうが、「高崎の散歩道」(昭和五十四年/1979発行)によると、碑裏面の「陸軍大将 東条英機謹書という文字は、緑のペンキで塗りつぶされている」と書かれています。
今は、そのペンキも剥がれ落ちていますが。

その石には、旗本退屈男の三日月傷みたいな穴があいてるんです。
何となく、「常安寺」の院号「月光院」に因んで、誰かがここに置いたような気がするのですが・・・。

山門から160mほど行った四つ辻を真っ直ぐ進むと、左側に道陸神が建っています。↓

裏面を見ると「明和二年(1765)乙酉」とありましたので、昔からこの辺に建っていたもののようです。

驚くことに、これ、道しるべなんです。
↓
文字は割合はっきり読み取れて、「向 右野道 前中仙道 後下台 左中仙道 通」と刻まれています。
「豊岡誌」によると、「享保三年(1718)」と刻まれていて、「高崎最古の道しるべ」だそうじゃありませんか。
そんな貴重なものを、放り出しておいていいんでしょうか。
何とか建て直して、高崎の文化度を疑われることのないようにしたいものですが。
はいっ、今日はここまでっ。
(参考図書:「豊岡誌」「高崎の散歩道」「続・高崎漫歩」)
【今日の散歩道】