2012年02月09日

実政を渡った旅人

もう2年半ほど前になりますが、「実政街道」というのに興味を持って、「実政の渡し」跡を探しに行ったことがあります。

ブログの力というのはすごいなーと思うのですが、その時頂いたコメントで、ずいぶん謎解きができて深みが増してきた訳ですが、つい最近、ご先祖様が旅の途中「実政の渡し」を渡ったという古文書をお持ちの、道中双六さんという方からメールを頂戴しました。
ちょっと抜粋してご紹介しましょう。

たまたま安政2年末から3年初めにかけてのご先祖の旅日記を発見しました。
いまの福島県郡山市から江戸・伊勢・西国33ヵ所と金毘羅・善光寺と、延べ85日の旅の終わり近く、高崎、前橋から日光へ、実政の渡しを通っていました。
次のような記述です。
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 一、さ祢まさ 二里
   間川舟三十二文宿なし
   上り口に御番所有
   かぶり物無用
-------------------------------
現代の地図と突き合わせながら道中記を読んだわけですが、なんとしても「さ祢まさ」がわからず、ネットで検索、こちらのブログでやっと「実政の渡し」と理解できた次第です。」

そして、ありがたいことに、坂本から日光までの「道中記」を、画像で送って頂きました。
これは、私だけが見たのでは勿体ないと思い、ブログに掲載したいとお願いしたところ、快よくご承諾頂きました。
併せて、読み下し文も送って頂きましたので、ここにご紹介いたします。
[ ]内は註釈です。

実政を渡った旅人
二七日
一、坂下[坂本] 二里半下り
かきや[かぎや]幸右衛門 はたご百五十文
十丁程行き御番所あり
三丁程行きて茶屋あり
此所より右は妙義山道
ほそ道むつかしき道なり
一、妙義山[妙義神社] 二里
白雲山大権現 御朱印
百五十石 経所なり 宿多し
掛こし間川橋八文
一、びやくほ[琵琶ノ久保]
此所宿なし
本道[中山道に]出会い申し候

実政を渡った旅人
一、あん中[安中] 二里
一、板花[板鼻] 二十五丁
一、高崎 二里
此所七万石御城下なり
きぬ類安すし
入口よりすこし行きて左
日光道おいわけなし
前橋あ志う[足尾]ト聞くべし
一、さ祢まさ[実政]
間川舟三十二文 宿なし
上り口に御番所あり かぶり物無用

実政を渡った旅人
二八日
一、前橋 一里
白井屋泊り 木銭[木賃]八十文 米百八文
一、おうこ[大胡] 二里半
出口一丁行き左わかる
日光道 是より四里半 山ほそ
道なり 宿なし わらじ
食物心かけべし
一、もろ沢[室沢] 一里半
宿なし
一、深沢 二里半
宿なし
一、はなわ[花輪] 二里半
一、ごうと[神戸] 一里半

実政を渡った旅人
二九日
一、そふり[沢入] 二里
舛屋泊り 木銭[木賃]七十二文 米百六文
一、阿志う[足尾] 二里半
一、みこ内 [神子内] 二里
是より日光峠[細尾峠]登り一里
下り一里 大雪にて
難儀仕り
一、ほうそ[細尾] 二里
間なんたい山より流れる川有り
三十日
一、日光 二里
入口より五六丁程行き大下り

いやー、面白い!
頭の中で、コースが辿れますね。

道中双六さんからの情報で、「道中記」にある坂本の旅籠・「かぎや」がまだあるということに、これまたびっくりです。

道中双六さんとご先祖様のおかげで、貴重な資料を記事にすることができました。
本当にありがとうございました!





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Posted by 迷道院高崎 at 21:19
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