2009年09月18日

実政街道(2)

「実政街道(1)」の続きです。

実政街道(2)高砂町北通町の山車倉庫前を過ぎると、JRと駒形街道の立体交差に出ます。

ガード下を潜ってから、左折して右斜めに進むと、「実政街道」の続きです。

実政街道(2)少し行くと、東三条通りに出ますが、それを突っ切って細い道に入ります。 →

そういえば、高崎「なんとか条通り」というと、この東三条通りという名前がよく出ますが、「三条」があるということは、「一条」「二条」もあるんですよね。

9月20日(日)に、「たかさきアートフリマ」が催される「せせらぎ通り」「東一条通り」で、高島屋の西側の通りが「東二条通り」でしたっけ。

東四条というのもあるようで、他にも、西一条・二条、北一条・二条・三条、南一条・二条・三条もある(あった?)んだそうです。
どなたかご存知の方、教えて頂けるとありがたいのですが。

話が横道に逸れましたので、「実政街道」に戻しましょう。

実政街道(2)東三条通りを突っ切って道なりに進むと、「一貫堀」に架かる「赤土橋」を渡ります。

昔、この辺りは「赤土村」と呼ばれていたそうで、その名の通り赤土の田園地帯だったようです。

実政街道(2)この橋の近くに、村の若者が力自慢をするために使った「力石」というのがあったと、「高崎の散歩道 第五集」に書かれています。

現在は、塚沢公民館の玄関脇に置かれています。 →

「赤土橋」近くに水車小屋があって米を搗いていたとありますから、搗き上がるまでの間、力自慢でもしていたのでしょう。
重い石を持ち上げた屈強な若者の、得意げな顔が目に浮かびます。
若者に負けじと無理をして、腰を痛めるお年寄りもいたりして・・・。

実政街道(2)「赤土橋」を渡ってしばらく行き、塚沢中学校西側の丁字路を左に入ると、古びた木の鳥居が目に入ってきます。
飯玉公民館の玄関前ですが、石祠と道祖神があります。

この辺に昔「妙信庵」というお堂があって、そこにお地蔵様が建っていました。
それが、「九蔵町むかし探し」でご紹介した「夜泣き地蔵」です。

実政街道(2)丁字路へ戻って、「実政街道」を北へ行こうとすると、すぐ塚沢小学校の丁字路に突き当ってしまいます。

明治四十年(1907)の二万分一地形図では、「実政街道」は、この先ずーっと北東へ向って進んでいくようです。

いつかまた、この先の消えた「実政街道」を辿ってみたいと思います。

実政街道(2)


【赤土橋】
実政街道(2)

【赤土村の力石】
実政街道(2)

【夜泣き地蔵のあった所】
実政街道(2)





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Posted by 迷道院高崎 at 07:38
Comments(4)実政街道
この記事へのコメント
○条通りという京都風の通り名ですが、北海道の都市で見られるように明治以降の都市計画で付けられたのではないかと思います。
東西南北が揃っていたことは初めて知りました。

東一条通りを南行すると慈光通り以南は「れんが通り」と名付けられていますが、なぜか電柱広告板に(西一条通り)と括弧書きがされていますね。地理的には「東」の南側に「西」があるのはおかしいので、この表示は疑問ですが…。(笑)

明治40年の地図には明治18年の地図には影も形もなかった現在の前橋街道があるのですね。県庁への交通路を確保するため急速に整備されたことが伺えます。
Posted by ふれあい街歩き  at 2009年09月19日 09:54
>“ふれあい街歩き”さん

高崎市商業課がWEB上で公開している「たかさき商店街マップ」でも、「東一条通り商店街」の南を「西一条通り商店街(レンガ通り)」としていますが、おそらく間違いか、勘違いだと思います。

その後の調べで段々分かってきたんですが、どうやら中山道(田町通り)を基準に、東・西の各条通りの名前を付けたようです。

ですので、「レンガ通り」は「東一条通り」の一部になります。
そして、中央銀座商店街から南銀座商店街の通りが、「西一条通り」です。

ただ、最近の町づくりの過程で呼び名を変えたのかもしれませんから、それであればいい訳ですが、それにしても、東の南が西というのは分かりずらいですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年09月19日 18:41
実は、いわれる、その街道沿いに、同棲、新婚当時住んでおりました(笑)。
とかいわれる橋のたもとにあった魚屋さんとか、もう少し手前の駄菓子屋さんとか結構優しくしてくれましたね。貧乏ミュージシャンの同棲生活に(笑)。
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年09月20日 04:53
>昭和24歳さん

あー、いつぞやブログに書かれていた所ですね。
そうですかー。
夢に出てきたりしますか?
私は、その頃住んでいた家の夢を、けっこう頻繁に見ます。
そこでは、親父にもお袋にも会えて・・・。
「異人たちとの夏」の世界です。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年09月20日 07:34
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