「実政街道(2)」の記事中、「東三条通り」の他にも、高崎には「なんとか条通り」が沢山あるらしいとお話しました。
その後、少し調べていたのですが、「高崎市史」に「東三条通りの公用開始は大正十二年(1923)」という記述があるのを知り、大正時代の高崎の地図がないか探していました。
県内図書館の蔵書を検索したところ、県立図書館に「日本都市地図集成 明治・大正」というのがあると分かり、出かけてみました。
期待してその地図を見ましたが、残念ながら明治時代の地図で、通り名の記載もなく、東三条通りはまだ影も形もありません。
ここまで来て諦めきれず、職員の方に検索をして頂くと、貴重資料室に大正時代の高崎の地図が保管されていることが分かりました。
時間をかけて出してきて頂くと、これがドンピシャ!
大正十三年(1924)に高崎市が発行した、「高崎市全図」です。
なんと、なんと!通り名がちゃんと書かれています。
おまけに、当時の戸数と人口まで書いてありました。
戸数:9,435、人口:47,890 だそうです。
平成二十一年(2009)8月末現在は、
世帯数:150,684、人口:374,367。
ほーっ!
現在の地図に、「〇〇条通り」を追記してみました。↓
どうやら、中山道を基準にして東西南北に条番号を振ったようです。
南側は、駅前通りを基準にしたのかも知れません。
いずれにしても、「〇〇条通り」って、なんか、カッコイイ呼び名ですよね。
もう一度、復活させてもいいんじゃないでしょうか?
その後、少し調べていたのですが、「高崎市史」に「東三条通りの公用開始は大正十二年(1923)」という記述があるのを知り、大正時代の高崎の地図がないか探していました。
県内図書館の蔵書を検索したところ、県立図書館に「日本都市地図集成 明治・大正」というのがあると分かり、出かけてみました。
期待してその地図を見ましたが、残念ながら明治時代の地図で、通り名の記載もなく、東三条通りはまだ影も形もありません。
ここまで来て諦めきれず、職員の方に検索をして頂くと、貴重資料室に大正時代の高崎の地図が保管されていることが分かりました。
時間をかけて出してきて頂くと、これがドンピシャ!
大正十三年(1924)に高崎市が発行した、「高崎市全図」です。
なんと、なんと!通り名がちゃんと書かれています。
おまけに、当時の戸数と人口まで書いてありました。
戸数:9,435、人口:47,890 だそうです。
平成二十一年(2009)8月末現在は、
世帯数:150,684、人口:374,367。
ほーっ!
現在の地図に、「〇〇条通り」を追記してみました。↓
(地図は国土地理院の閲覧サービスより)
どうやら、中山道を基準にして東西南北に条番号を振ったようです。
南側は、駅前通りを基準にしたのかも知れません。
いずれにしても、「〇〇条通り」って、なんか、カッコイイ呼び名ですよね。
もう一度、復活させてもいいんじゃないでしょうか?