2011年07月20日

城下町へ行ってました

城下町へ行ってました「おひさま」陽子が、初恋相手の川原功一に手を引かれて階段を上った松本城です。

こんな立派なお城が残ってるなんて、羨ましいことです。

改めて、「高崎に、もしもお城があったなら」と嘆息するばかりです。

でも、実は松本城も危なかったのです。

明治四年(1871)の廃藩置県で、二の丸御殿筑摩県庁がおかれると、城内の門や塀の取り壊しが始まりました。
翌年、競売にかけられた松本城は235両で落札され、落札者は天守閣を取り壊すつもりでした。
そこへ、「城がなくなれば松本は骨抜きになる。」と待ったをかけたのが、元信飛新聞社社長・市川 量造氏だそうです。
市川氏は城の買い戻し運動を起こし、城内で開催した博覧会の入場料などを資金に充てて無事買い戻しに成功し、天守閣は残ったのです。

二度目の危機は、明治三十二年(1899)に訪れます。
県は、本丸を松本尋常中学校の運動場にすることを決定します。
町民たちは、「運動場になれば城跡は荒廃する。本丸は公園にして欲しい。」と要望します。
当時、校長であった小林有也(こばやし・うなり)氏は、町民の思いに深く心を動かされ、本丸を運動場にすることは止むなしとしたが、併せて、荒廃して傾いた状態の天守閣を修理・保存するための運動を起こします。
小林校長の行政への働きかけや募金運動により、11年の歳月をかけた大修理工事が竣工しました。

松本城は、昭和二十五年(1950)にも大修理を行っていますが、いずれの場合も、よきリーダーと市民の物心両面にわたる力の結集が、今日の松本市に大きな財産を残しました。

城下町へ行ってました明治九年(1876)には、二の丸御殿に置かれていた筑摩県庁が焼失するという災厄もありました。

素晴らしいと思ったのは、その跡地の残し方です。

「二の丸御殿絵図」をもとに、更地になった跡地にその区割りを再現しています。

もはや、わが高崎城を復元することは困難になった感がありますが、この手法で再現する手は残っているな、と思いました。

城下町へ行ってました二の丸近くに、松本城ボランティアガイドのテントがあり、三人の方が待機していました。

毎日、みなさん手弁当で、9:00~17:00までここに詰めているのだそうです。
これも、松本市民力ですね。

城下町へ行ってました松本の町なかには、あちこちに水が湧き出ています。

そこには夫々、城下町に由来する事柄が表現されていますが、ここには、江戸時代の旧町名・大名町の由来を書いた石柱が建てられていました。

城下町へ行ってました←このベンチには、歴代の松本藩主一覧が書かれています。

城下町へ行ってました




「信濃」の名の由来になったという説もある「シナノキ」の並木道にも、歴代藩主の家紋が描かれた、行燈(あんどん)風の街灯が並んでいます。

行政にここまでやられたら、民間だってその気になります。

城下町へ行ってました
← ファミマだって、この通り。

城下町へ行ってました




古書店は、お城そのもの。→

和楽器の製造販売店もあれば、三味線の生演奏が
いつでも聞ける処もあります。
城下町へ行ってました城下町へ行ってました

城下町へ行ってました← ここは、古さと新しさが見事に調和した、中町通り

城下町へ行ってました




元・造り酒屋の蔵を利用した多目的会館、その名も「蔵シック館」

いやー、参りましたなー。
魂の入ってる町でした。
活きている町でした。





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Posted by 迷道院高崎 at 06:50
Comments(5)◆出・たかさき
この記事へのコメント
松本には何度か行きましたが、お城を観るのが
精一杯で…、こんなに素敵な城下町があるなんて、見過ごしてしまったことが悔しい!です。
5月に諏訪あたりに出かけたときも、諏訪大社前宮で地元のボランティアの方が熱心に説明して下さって、県の宝を思う、つよい気持ちと誇りを感じました。
「蔵シック館」…いいですねー!
いやはや…また信州に出かけたくなりました^^。
Posted by 風子風子  at 2011年07月20日 10:44
人混みが苦手なもので、裏通りを歩いてみたら素敵なものにたくさん出会いました。
裏通りと言っても、松本の裏通りは寂れてないんですよね。
夫々の通りが夫々工夫して、活き活きしているのが印象的でした。

私も、ブログ記事を書きながら、また行きたくなっています(^_^)
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年07月20日 19:10
こんばんは。

流石に、信州記事を続けて更新されているのを
拝見致しますと 信州好きの私としては
コメントひとつでも、書き込みをさせて
頂かないと 何だか申し訳ないような…

松本市内の馬刺し屋さんで
「のらくろ」の 田河 水泡さんが行きつけお店があります。
チョット、お高いですが歴史のある良いお店です。直筆のサインが飾ってあります。
Posted by はるなのフルーツはるなのフルーツ  at 2011年07月20日 23:33
度々スミマセン…

>「のらくろ」の 田河 水泡さんが行きつけお店があります。

上のコメント訂正ですネ…
正しくは 「行きつけだった」の過去形ですネ
Posted by はるなのフルーツはるなのフルーツ  at 2011年07月20日 23:35
>はるなのフルーツさん

毎週末に信州へ行ってるはるなのフルーツさんにコメントを頂き、内心緊張しています。
今回の信州行も、はるなのフルーツさんのブログに触発されたところも大きかったんですよ。

旅館での食事には必ず馬刺しが出ていましたが、そうですか、田河水泡さんの行きつけだったお店があったんですか。

松本へは、そう遠くない時期にもう一度行こうと思ってますので、探してみますね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年07月21日 08:18
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