たぶん、「おひさま」のロケ地にはなっていないと思うのですが、どうしても来たかったのが「下諏訪宿」です。
「下諏訪宿」というのは宿としての呼び方で、郷村名としては「湯之町」というんだそうです。
「湯之町」の名の通り、雰囲気のある旧中山道を歩くと、あちこちに湯が湧き出ています。
「御作田(みさくた)神社」の石垣には、温泉と清水の両方が湧き出ています。
「御作田神社」は諏訪大社下社の摂社で、境内には神米を採るための「神田」があります。
6月30日に田植えをし、一ヶ月後の8月1日には収穫できるというので、下社七不思議の一つになっているそうです。
そういえば、「八月一日」と書いて「ほづみ」と読む姓があることを思い出しました。
←「鐡(てつ)鉱泉旅館」の足湯は、誰でも無料で利用できます。
朝5時半から夜10時までやってて、入浴料金はなんと!220円という安さ。
←こちらは、同じく温泉銭湯「児湯(こゆ)」の入口に祀られている、「児宝地蔵」です。
普段見慣れている突っ立ったお地蔵様と違い、跪いて湯に手を入れているお姿はとても新鮮で、慈悲に満ちている感じがしました。
「銕焼( かなやき)地蔵尊」のご利益で湧き出したのが「児湯」だそうですから、「児宝地蔵」は「銕焼地蔵尊」なんでしょうね。
「銕焼地蔵尊」を寺宝とする「来迎寺(らいこうじ)」を通る道は鎌倉街道だそうです。
「来迎寺」手前の素敵な民家、玄関に貼られている紙が目に留まりました。
「花屋茂七館」と書いてあります。
普通なら、「ご用の方はチャイムを押してください。」程度のそっけない文言ですが、この貼紙の言葉には実に感銘を受けました。
花屋茂七という人は、江戸末期から明治中期にかけて下諏訪宿の旅籠「花屋」を営んでいた主だそうです。
その四代目にあたる小松秀夫さんが自宅を増改築して、街かど博物館「花屋茂七館」を開館したのです。
ご先祖から受け継いだ町指定文化財「木造虚空蔵(こくぞう)菩薩座像」をはじめ、家に伝わる日本画、書、資料、生活用品など約60点を展示しているそうです。
入館無料、開館日は金、土、日曜日の午前9時~午後4時、開館日時以外でも予約すれば対応して頂けるとのことですが、この日は早朝だったので見学は遠慮させて頂きました。
鎌倉街道が通り、中山道と甲州街道の交点でもある下諏訪宿は、諏訪大社のお膝元でもあり、中山道唯一の温泉のある宿場であったことから、大層賑わったようです。
その賑わいぶりが、問屋場跡に掲示されている「木曽路名所図会」に描かれています。
明治になってからはシルク産業で発展し、戦後は精密機械工業が盛んになるなどして栄えた下諏訪ですが、グローバル化の波はここ下諏訪にも押し寄せ、産業も町も空洞化させていきます。
残ったのは、歴史が育んだ街道と宿場町の風情でした。
下諏訪の町はその財産をフルに活かして、観光の町として新たな発展を目指しているように見えました。
しかし、この町の本当にすごいと思うところは、諏訪大社をはじめ多くの歴史遺産を大切にしながらも、それにもたれ掛かることなく、新しい町の姿を創り出そうとしているところです。
それが、「匠の町しもすわ あきないプロジェクト」です。
私が感服したのは、「よそものの力で商店街を再生する」という柔らかい発想と、「ものづくりと商いのマッチング」というビジネスモデルです。
わが高崎にも、大いに参考になるプロジェクトではないかと思いました。
百聞の価値、一見の価値がある湯之町でした。
「下諏訪宿」というのは宿としての呼び方で、郷村名としては「湯之町」というんだそうです。
「湯之町」の名の通り、雰囲気のある旧中山道を歩くと、あちこちに湯が湧き出ています。
「御作田(みさくた)神社」の石垣には、温泉と清水の両方が湧き出ています。
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「御作田神社」は諏訪大社下社の摂社で、境内には神米を採るための「神田」があります。
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6月30日に田植えをし、一ヶ月後の8月1日には収穫できるというので、下社七不思議の一つになっているそうです。
そういえば、「八月一日」と書いて「ほづみ」と読む姓があることを思い出しました。
←「鐡(てつ)鉱泉旅館」の足湯は、誰でも無料で利用できます。
こちらは温泉銭湯「旦過(たんが)の湯」。
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朝5時半から夜10時までやってて、入浴料金はなんと!220円という安さ。
←こちらは、同じく温泉銭湯「児湯(こゆ)」の入口に祀られている、「児宝地蔵」です。
普段見慣れている突っ立ったお地蔵様と違い、跪いて湯に手を入れているお姿はとても新鮮で、慈悲に満ちている感じがしました。
「銕焼( かなやき)地蔵尊」のご利益で湧き出したのが「児湯」だそうですから、「児宝地蔵」は「銕焼地蔵尊」なんでしょうね。
「銕焼地蔵尊」を寺宝とする「来迎寺(らいこうじ)」を通る道は鎌倉街道だそうです。
「来迎寺」手前の素敵な民家、玄関に貼られている紙が目に留まりました。
「花屋茂七館」と書いてあります。
普通なら、「ご用の方はチャイムを押してください。」程度のそっけない文言ですが、この貼紙の言葉には実に感銘を受けました。
花屋茂七という人は、江戸末期から明治中期にかけて下諏訪宿の旅籠「花屋」を営んでいた主だそうです。
その四代目にあたる小松秀夫さんが自宅を増改築して、街かど博物館「花屋茂七館」を開館したのです。
ご先祖から受け継いだ町指定文化財「木造虚空蔵(こくぞう)菩薩座像」をはじめ、家に伝わる日本画、書、資料、生活用品など約60点を展示しているそうです。
入館無料、開館日は金、土、日曜日の午前9時~午後4時、開館日時以外でも予約すれば対応して頂けるとのことですが、この日は早朝だったので見学は遠慮させて頂きました。
鎌倉街道が通り、中山道と甲州街道の交点でもある下諏訪宿は、諏訪大社のお膝元でもあり、中山道唯一の温泉のある宿場であったことから、大層賑わったようです。
その賑わいぶりが、問屋場跡に掲示されている「木曽路名所図会」に描かれています。
明治になってからはシルク産業で発展し、戦後は精密機械工業が盛んになるなどして栄えた下諏訪ですが、グローバル化の波はここ下諏訪にも押し寄せ、産業も町も空洞化させていきます。
残ったのは、歴史が育んだ街道と宿場町の風情でした。
下諏訪の町はその財産をフルに活かして、観光の町として新たな発展を目指しているように見えました。
しかし、この町の本当にすごいと思うところは、諏訪大社をはじめ多くの歴史遺産を大切にしながらも、それにもたれ掛かることなく、新しい町の姿を創り出そうとしているところです。
それが、「匠の町しもすわ あきないプロジェクト」です。
私が感服したのは、「よそものの力で商店街を再生する」という柔らかい発想と、「ものづくりと商いのマッチング」というビジネスモデルです。
わが高崎にも、大いに参考になるプロジェクトではないかと思いました。
百聞の価値、一見の価値がある湯之町でした。