2010年11月21日

鎌倉街道探訪記(8)

前回、「山茶花坂」を下ってしまったので、また、坂をえっちらおっちら上る羽目になりました。
上りついでに、ちょいと寄り道をしてみます。

鎌倉街道探訪記(8)「山茶花坂」を上った先の信号を右折して100mほど行った左に、高崎温泉「さくらの湯」があります。

昔は「不動かくれの湯」といって、夢枕に現れた不動明王のお告げ通りに掘ったら出たという謂れのある温泉でしたが、平成十七年(2005)に閉鎖されてしまいました。

それを、平成二十年(2008)に「さくらの湯」として再開させたのが、高崎市内の「さくら不動産」という会社だそうですから、やはりお不動様のお導きということなんでしょうか。

鎌倉街道探訪記(8)「さくらの湯」のすぐ隣には、「白木稲荷大明神」の社があります。

なから由緒あるお稲荷さんで、500年ほど前の永正年中(1504-1521)に和田右兵衛大夫信輝という人が、京都・伏見稲荷大社から分祀勧請したと伝わっています。

和田信輝は、高崎城の前身・和田城を築いたとされる和田義信から数えて、五代目にあたります。

鎌倉街道探訪記(8)境内には大きな石碑が2つ建っていますが、左側が明治三年(1870)建立の「水天宮」です。

「水天宮」の碑は、城南プールの所にもありましたが、水難除けの神様と言われていますので、近くの烏川で水難に遭う人が多かったということなのでしょうか。

和田氏はもともと相模国三浦一族でしたが、建保元年(1213)鎌倉北条氏との戦に敗れて、上野国に逃れてきます。
鎌倉道は、「いざ鎌倉!」の道ですが、「さらば鎌倉!」の道でもあった訳です。

さて、前置きが長くなりました。現代の鎌倉道へ戻りましょう。
「くるみ塚児童公園」の東に接する道が鎌倉道です。(たぶん)

鎌倉街道探訪記(8)その道を南へ進むと、大きな家に突き当たる丁字路になります。

右へ下ると城南球場からの道に出ますが、鎌倉道は左へ上ります。
鎌倉街道探訪記(8)すぐに「さくらの湯」から来る道と交わり、そこを右折します。
鎌倉街道探訪記(8)右前方に「城南児童公園」が見えてきます。

「高崎の散歩道 第二集」によると、昔ここには古墳の一部と思われる小高い山があり、その周囲にキリスト教徒の墓地がある淋しい所だったということです。

鎌倉街道探訪記(8)公園の角を右折すると城南交差点に出ますが、その途中の石垣を左に入る細い道を見て、これが古の鎌倉道だったのではないかと直感しました。
鎌倉街道探訪記(8)先ほど大きな家に突き当たりましたが、もしその家がなかったら、ちょうどこの細道につながるのです。
鎌倉街道探訪記(8)そのまた延長線上にあるのが、城南小学校です。

古には河岸段丘がつながっていて、鎌倉道はここから学校の中を抜けていたようです。
今は、「城南児童公園」東の道を進み、国道を右眼下に見ながら突き当りの線路まで行って右折し、城南橋を渡ります。
鎌倉街道探訪記(8)鎌倉街道探訪記(8)鎌倉街道探訪記(8)

鎌倉街道探訪記(8)城南橋を渡り終えたところに城南小学校の正門があります。

古の鎌倉道は、小学校の中を抜けてこの辺りに出てきたようです。

さて、今日のお散歩は、ここまでにいたしましょう。


【今日の散歩道】



鎌倉街道探訪記(8)



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Posted by 迷道院高崎 at 22:29
Comments(9)鎌倉街道
この記事へのコメント
確かこの辺りのかつての様子は、1、2年前の広報高崎に連載されていた平野さんという方の手記で読んだ覚えがあります。河原に沿って国道の高崎バイパスが開通してからも暫くはのどかな光景だったそうですが、その後一変してしまったそうです。


憶測ですが、まだ河原に行きやすい時代、川で泳いで水難事故に遭わないようにこの場所にプールを設置したのではないでしょうか。
Posted by ふれあい街歩き  at 2010年11月22日 18:09
「さくらの湯」こんな市街地に天然温泉があったのを初めて知りました。「三福温泉」は知ってたのですが。こんど入ってみます。
ところで話は変わりますが、おとといの土曜日に八間道路の所で仕事したんですが「おゆべすこう」なのに街は妙に静かなんですよ。閑散としてるって言うか。寂しそうに「えびす講」の旗が残照に照らされはためいてました。うーんあの活気があった商都高崎はどこへいったのでしょう?「どげんかせんといかん」ですね。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年11月22日 18:29
>ふれあい街歩きさん

平野博司さんですね。
高崎の歴史遺産案内人です。
この方も、昭和24歳さんに負けず劣らず記憶力抜群なんですよね。

城南プールの目的として、仰るようなこともあったかもしれませんね。
事実、私も烏川で水遊びをした一人ですから。

遠野で聞いたんですが、河童は間引きで川に流した子供の霊だという説もあるようです。
「水天宮」様が、水難除けの神様でもあり、子授け・安産の神様でもあるというのは、もしかするとそんな理由もあるのでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月22日 22:44
>柏木沢の農家おじさん様

「ゑびす講」閑散としてましたかー。
そういう私も、行きませんでしたけどね。

商店も結構工夫しているようなんですけど、人々の楽しみ方が多様化しているから・・・仕方ないのかなぁ?

でも、そう簡単に片づけたくないし・・・。
どうすればいいのかなぁ?

「ゑびす講」の時でなければ見られないものとか、手に入らないものとか、そんな魅力的な何かがあればいいんでしょうね。

みなさん、お知恵を貸してください!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月22日 23:00
>柏木沢の農家おじさん様

こんな記事がありました。
http://www.takasakiweb.jp/news/article/2010/11/2201.html

場所によっては、大賑わいだったようです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月22日 23:25
>迷道院高崎 様

偶然、このブログを見つけました。
ここを見ていると、懐かしい場所が沢山出てきて、時間を忘れます。

今回、ちょうど迂回された城南プールの真上あたりが私の実家でした。

また時々寄らせていただきます。
Posted by ちゃかぼー  at 2010年11月23日 18:20
>ちゃかぼー様

ご来訪いただき、ありがとうございます!

私の記事で懐かしく思われたとのこと、嬉しい限りです。
励みになります。

城南プールの真上とは、さぞ眺めの良いご実家だったでしょうね。

これからも、よろしくお付き合いください!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年11月23日 18:47
以前どこかで見て読めなかった石碑の文字が、こちらの記事のお陰で「水天宮」だったことがわかりました。ひとつでも謎が解けるとうれしいものですね。

ところで、「不動かくれの湯」の場所がわからなくて、行かないうちに閉鎖されてしまい残念でしたが、名前が変わって営業しているのですね。思っていたほど遠くないので、ぜひ行ってみようと思います^^。
Posted by 風子  at 2010年11月23日 20:15
>風子さん

読めませんよねー!
私も、境内の看板に書いてなかったら、絶対分かりませんでした(^^ゞ

さくらの湯、泉質は不動かくれの湯と変わらず、加水なしの源泉かけ流しだそうですから、ぜひお出かけください。
Posted by 迷道院高崎  at 2010年11月23日 20:48
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