前回、「山茶花坂」を下ってしまったので、また、坂をえっちらおっちら上る羽目になりました。
上りついでに、ちょいと寄り道をしてみます。
「山茶花坂」を上った先の信号を右折して100mほど行った左に、高崎温泉「さくらの湯」があります。
昔は「不動かくれの湯」といって、夢枕に現れた不動明王のお告げ通りに掘ったら出たという謂れのある温泉でしたが、平成十七年(2005)に閉鎖されてしまいました。
それを、平成二十年(2008)に「さくらの湯」として再開させたのが、高崎市内の「さくら不動産」という会社だそうですから、やはりお不動様のお導きということなんでしょうか。
「さくらの湯」のすぐ隣には、「白木稲荷大明神」の社があります。
なから由緒あるお稲荷さんで、500年ほど前の永正年中(1504-1521)に和田右兵衛大夫信輝という人が、京都・伏見稲荷大社から分祀勧請したと伝わっています。
和田信輝は、高崎城の前身・和田城を築いたとされる和田義信から数えて、五代目にあたります。
境内には大きな石碑が2つ建っていますが、左側が明治三年(1870)建立の「水天宮」です。
「水天宮」の碑は、城南プールの所にもありましたが、水難除けの神様と言われていますので、近くの烏川で水難に遭う人が多かったということなのでしょうか。
和田氏はもともと相模国の三浦一族でしたが、建保元年(1213)鎌倉で北条氏との戦に敗れて、上野国に逃れてきます。
鎌倉道は、「いざ鎌倉!」の道ですが、「さらば鎌倉!」の道でもあった訳です。
さて、前置きが長くなりました。現代の鎌倉道へ戻りましょう。
「くるみ塚児童公園」の東に接する道が鎌倉道です。(たぶん)
「高崎の散歩道 第二集」によると、昔ここには古墳の一部と思われる小高い山があり、その周囲にキリスト教徒の墓地がある淋しい所だったということです。
城南橋を渡り終えたところに城南小学校の正門があります。
古の鎌倉道は、小学校の中を抜けてこの辺りに出てきたようです。
さて、今日のお散歩は、ここまでにいたしましょう。

上りついでに、ちょいと寄り道をしてみます。

昔は「不動かくれの湯」といって、夢枕に現れた不動明王のお告げ通りに掘ったら出たという謂れのある温泉でしたが、平成十七年(2005)に閉鎖されてしまいました。
それを、平成二十年(2008)に「さくらの湯」として再開させたのが、高崎市内の「さくら不動産」という会社だそうですから、やはりお不動様のお導きということなんでしょうか。

なから由緒あるお稲荷さんで、500年ほど前の永正年中(1504-1521)に和田右兵衛大夫信輝という人が、京都・伏見稲荷大社から分祀勧請したと伝わっています。
和田信輝は、高崎城の前身・和田城を築いたとされる和田義信から数えて、五代目にあたります。

「水天宮」の碑は、城南プールの所にもありましたが、水難除けの神様と言われていますので、近くの烏川で水難に遭う人が多かったということなのでしょうか。
和田氏はもともと相模国の三浦一族でしたが、建保元年(1213)鎌倉で北条氏との戦に敗れて、上野国に逃れてきます。
鎌倉道は、「いざ鎌倉!」の道ですが、「さらば鎌倉!」の道でもあった訳です。
さて、前置きが長くなりました。現代の鎌倉道へ戻りましょう。
「くるみ塚児童公園」の東に接する道が鎌倉道です。(たぶん)
![]() | その道を南へ進むと、大きな家に突き当たる丁字路になります。 右へ下ると城南球場からの道に出ますが、鎌倉道は左へ上ります。 |
![]() | すぐに「さくらの湯」から来る道と交わり、そこを右折します。 |
![]() | 右前方に「城南児童公園」が見えてきます。 |
「高崎の散歩道 第二集」によると、昔ここには古墳の一部と思われる小高い山があり、その周囲にキリスト教徒の墓地がある淋しい所だったということです。

古の鎌倉道は、小学校の中を抜けてこの辺りに出てきたようです。
さて、今日のお散歩は、ここまでにいたしましょう。
【今日の散歩道】
