![]() | 下った坂をまた上り、細道の十字路まで戻って、南へ進みます。 |
![]() | 普通のお宅に見える屋根のてっぺんに、十字架が立っています。 「日本基督教団 高崎南教会」だそうです。 |
![]() | お行儀のいいワンちゃんの親子が、玄関前に座ってました。 いいなぁと思ったのは塀の上の看板です。 |
日本のお役所のは、どうも説教じみてていけません。
![]() | 道は左へカーブしますが、コーナーから、城南球場へ降りる石段があります。 鎌倉道は真っ直ぐ崖上に続いていたのでしょうが。 |
![]() | カーブを曲がってすぐ右折すると、「くるみ塚児童公園」の丁字路に出ます。 |
![]() | 「くるみ塚児童公園」前の東西の道は、現在「城南野球場通り」となっていますが、他にもいろいろな名前がついています。 |
土屋喜英氏著「高崎漫歩」によると、
「城南野球場へ下る坂は稲妻形をした細い道で、振り子のように左右に曲がりながら下りていった。ここに水車があり、通称『車のがけ』と言っていた。」
とあります。
しかし、城南球場は昭和十一年(1936)の完成ですが、大正十三年(1924)、昭和九年(1934)いずれの地図にも稲妻形の道は描かれていません。
もしかすると、前回の記事で紹介した草むらの石仏群のところに下りていく道か、あるいは同じような野道があったのかも知れません。


坂途中の橋には「南二条線」とあり、平成二年(1990)に建てられた標柱には「山茶花(さざんか)坂」と書かれています。

城南球場のモデルは東京の神宮球場だそうですが、隣接の城南プールもまた、神宮プールに次ぐ日本水泳連盟公認プールとして、昭和十三年(1938)に完成しました。
ただ、私が子どもの頃は、あまり衛生的とは言えなかったように思います。
水もたぶん1週間に1回くらいしか替えてなかったのではないでしょうか。
井戸水だったのでしょうか、替えた直後はものすごく冷たいのですが、日が経つにつれ温るくなり、水の透明度も悪くなって、底は藻でつるつる滑るありさま、あろうことか、プールの縁にはボウフラまでいました。
今の人なら気絶しそうな水の中で、嬉々として泳いでいた、そんな時代でした。

大正七年(1918)の建立といいますから、城南プールができるずっと前から祀られていたのですね。
塩素滅菌で衛生的なプールとなった現在では、神主さんを呼んで祈願することもなくなったようで、水天宮様もちょっぴり寂しそうに見えました。
◇「城南球場と城南プール」(高崎市HP)
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