
この一帯は、かつて久保川呉服店があった所です。 ↓

久保川呉服店は、明治三十年(1897)発行の「髙嵜繁昌記」では、各国織物商・江州屋(ごうしゅうや)江州(上州?)支店とあるので、近江(滋賀県)の出だったようです。
昭和二十三年(1948)には、前年に始まったゑびす講市の流れで、当時、久保川百貨店と呼ばれていた当店を会場に、西毛物産展が開催され、写真ではその看板が掛けられています。

漆喰壁を維持するのは、なかなか大変なのでしょう、トタン板で覆われていました。
それでも残しておいて頂いたのは、有り難いことだと思います。
ところで、これはどなたの家の土蔵でしょう?
ご近所の方に聞いてみると、「前の家のですよ。」と道の反対側を指差します。

高崎で一番美味しいと評判だったすき焼き店ですが、現在、営業は冬季だけ、それも予約のみということです。
それでも評判を聞きつけて、今も各界の著名人が訪れているようです。

ここは、もと銭湯・成田湯(成田本町支店湯)の跡です。
2009年01月04日の記事に、ありし日の
成田湯の姿が残っていました。
建物を取り壊したのはつい最近、今年の2月だそうです。
つくづく、写真を残しておいてよかったなぁと思いますが、
昔の風景は、見かけた時が写す時なんですね。
廃業はしても煙突だけは残そうとした成田湯さんの気持ちが、痛く分かるような気がします。
この湯屋横丁が高崎湯屋業発祥の地であることを、いつまでも伝えるシンボルとなることでしょう。
さて、次回はいよいよ、本町蔵探しの最終回となります。
(参考図書:「本町今昔物語」「新編高崎市史」「髙嵜繁昌記」
「中山道高崎宿史」)
「中山道高崎宿史」)