
四代目の上原高洞さんは日本でも有名な篆刻の達人で、国内ばかりか世界的にも活動を広げています。
平成十六年(2004)に、水村園の小見社長の声掛けによって、本町住民の手で作成された町歩きマップ「本町今昔散歩道」の題字は、上原さんの書です。

水村園の土蔵群は、平成十二年
(2000)に「国登録有形文化財」となりましたが、蔵を残すための多額な修復費用は、全て水村園持ちだったそうです。
このことについて、小見社長は、こんなことを仰っていました。
「道に死にそうな人が倒れていたら、放っておけないだろう?僕にとって、この土蔵は死にそうな人だったんだよ。」

ここは、江戸時代創業の造り酒屋・旧近江屋の小竿家です。
本町三丁目の近江屋(現大塚酒店)とは縁続きで、小竿家を「カミンチ」(上の家)、大塚家を「シモンチ」(下の家)と呼んでいたそうです。

こうやって見ると、高崎経済大学の高階勇輔先生が「高崎は、川越とは較べものにならない程の蔵の町だったんだよ。」と仰るのが、分かるような気がします。

この蔵は、弘化三年(1846)創業の紙問屋・白木屋紙店のものでした。
昭和四十二年(1967)にできた問屋町へ店を移してからは、ご主人の住まいとして使っていましたが、それを借り受けて改修し、「もぎたて完熟屋」を開いたのは、倉渕町で釣り堀と水産加工業を営むカネト水産でした。
水産加工業のカネト水産がお惣菜屋さんを開いたことについて、社長の原寛さんはこう仰っています。
「完熟野菜はおいしいが、日持ちなどの問題で廃棄されることが多い。
これまで廃棄されていた完熟野菜を有効利用することで、利用者においしい野菜を提供でき、その上、農家のサポートにもなる」
さらに、この蔵を利用したことについて、嬉しい言葉も。
「この場所に出会えてラッキーでした。本町界隈には老舗があって、蔵や寺なども残っています。まちの雰囲気づくりに貢献できて活性化に役立てれば嬉しいです」

お洒落な2階は昼はランチと喫茶、夜は酒席として楽しめます。
◇高崎に「地産地消」の総菜店「完熟屋」
(高崎前橋経済新聞)
さて、これまで見てきた、本町に残る使われなくなった蔵や建物。
「もぎたて完熟屋」さんが、ひとつのモデルになるのではないでしょうか。
21日にオープンした田町の「すもの食堂」。
そして、本町の「もぎたて完熟屋」。
今は、離れた2つの点にしか過ぎませんが、その間に残る蔵や建物を活用して、点を繋げて線にできたら、こんな素晴らしいことはありません。
いつの日か、高崎を訪れた人たちが町なかのお店をのぞきのぞき、
「あれ、もうこんなところまで歩いてきちゃたよ。」
という声を聞きたいものです。
そんな日の来ることを、心待ちにしています。