
「植樹1985 あじさい祭り 片岡中学校同窓会」という横断幕が、目を引きます。
諸説ある石段の数を数えながら上っていくと、夕刻ではありましたが、4、5組の人達と行きあいました。

見ると、皆さん結構書いて下さっているのですね。
どうせなら「あじさい祈願帳」とでもして、願いごとと住所・氏名を書いてもらうようにすると、来訪者の数や、何処から来た人かが分かって、いいのではないかと思いました。
そして、あじさい祭りが終わった後、清水寺に奉納・祈願して差し上げるのです。
このことが伝わっていけば、年々、来訪者が増えていくのではないでしょうか。

実は、石段の数には諸説あって、536段説、518段説、520段説があります。
今日のカウントによると(1段数え間違えたかもしれません)、520段説が正しいようです。
いつかまた数えたいと思います。(帰りに数え忘れちゃいましたので・・・)

欲を言えば、舞台下の樹の丈を少し詰めて、もっと高崎の町が一望できるようにしたいものです。
そうすれば、下の道からも赤い舞台が見えるようになって、今よりも「石段ルート」を利用してもらえるようになると思うのです。
因みに、この舞台に上がる階段の数、9段なんです!
なぜそんなに力を入れるかというと、ほら、520+9=529(こーふく:幸福)じゃないですか!
ここまで上がってこられるというのは、幸福なことなんですよ!
それだけじゃありませんよ。
本堂に上がるのも、同じ529段になるんです。
「幸福になれる石段」と名付けてもいいくらいです。
舞台で涼みながら、そんなことを考えていると、何処からともなく暮れ六つの鐘の音が聞こえてきました。
しかし、一向にここの鐘をつきに来るようすがありません。
そこへ、ご住職が本堂の扉を閉めにお見えになったので、聞いてみました。
「この鐘は、いつ撞くんですか?」
「別に、決まってはいない。」
「え?決まった時刻に撞くんじゃないんですか?」
「そう。」
ここで引き下がる訳にはいきません。
「撞いているところの写真を撮らせてもらいたかったんですが・・・」
「この格好じゃなぁ・・・。」
と言いながらもご住職、木槌を持って来て下さいました。

「撞くというより、叩くというんだけどね。」
カーン、カーン、カン、カン、カン、カン、カーン・・・とても澄んだいい音色でした。
ご住職のお話では、この鐘は「梵鐘」よりも小さいので、「半鐘」というそうです。
そして、「梵鐘」は時の鐘だけれど、「半鐘」は合図の鐘だということなんです。
寺院では、僧の着替えとか、儀式とかの始まりの合図に叩くそうです。
「この鐘を叩いて、いい音色を出すには、その人の素質にも拠るけど、十年くらいかかる。」と、ご住職は言います。
「半鐘は、楽器なんだよ。鐘の善し悪しと、叩く木槌の善し悪しと、叩く人の善し悪しが出るから、なかなか難しんだ。一生掛かっても、本当にいい音を出せるかどうか。」なんだとか。
ところで、と、ご住職に清水寺の石段の数についてお尋ねしてみました。
すると、
昭和十一年(1936)に白衣大観音が出来るまでは、536段だった。
その時、本堂の下に道が出来たので、18段減って518段になった。
その後、道と石段のバランスが悪かったので、2段増やして520段になり、現在に至っている。
というお話でした。
これからは、この石段のことを、「幸福になれる石段」と呼ぼうではありませんか、みなさん!
【幸福になれる石段】