【櫛渕万里 懲罰動議に対する弁明演説】
【斎藤隆夫 反軍演説】
【新憲法とわれらの覚悟】
これは、今から75年前、日本国憲法が公布されて間もなく、23歳の青年が書いた論考の一部である。青年の名は、芦部信喜(1923~1999)。
のちに「戦後日本を代表する」という定冠詞がつく憲法学者である。
「 | 血のにじむ苦闘を通じて戦いとられた欧米の民主主義が、新憲法の発布により簡単に実現すると考えたり、「憲法より飯だ」と国民一般がこれに無関心であったならば、いかに国民主権主義を宣言しても、人民の幸福をもたらす政治は到底実現されるはずはなかろう。(略) |
もちろん新憲法が現代的憲法としてはいくたの不完全さをもつことは否定できない。が、現在われわれ国民としての責務はかかる不完全さをせんさくすることでなく、この憲法を生かすことを真剣に考えることである。 そしてそれはわれわれの「主体的意識の覚醒」の一語につきると私は思う。 (略) |
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われわれの思想的動向が、右に左にただ時論の赴くままに無定見に浮動し、何らの節操もない為政者を選出して異とも感じない考え方が依然として改められず、相変わらずの被統治者根性に支配されて主体の意識をとり戻さぬ限り、新憲法の下に再び過去の変改が繰り返されることが決してないとは言えない。(略) | |
民主日本が民主主義制度の確立と相まって国民的精神の革命的浄化を必須とする所以はこの点にあるのである。 だから生活の窮迫に藉口して深い自覚を以て民主主義的信条を陶冶するの努力をもなさず「われらは治められるもの」との考えを固執し法に無関心である限り、愚劣な為政者が横行して「現在の日本人の頭では未だ何を作ってもだめである」(尾崎行雄-憲法発布に際して)という悲しむべき状態は改められないであろう。(略) |
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誠に平和日本の建設の成否したがって新憲法の成否は、一にかかって国民の資質にある。」 |
(「世界」2022年5月号より)