「八幡八幡宮」の隣にある「大聖護国寺」。
昭和五十三年(1978)に再建されたという本堂は、平成二十八年(2016)の開山八百年を機に改修されて、きれいになりました。
平成二十四年(2012)に撮影した写真に、改修前の本堂が写っていました。
平成二十九年(2017)には客殿、令和元年(2019)には阿弥陀堂と書院も建立されました。
史跡看板に、「大聖護国寺」と徳川五代将軍・綱吉の母・桂昌院との関係が書いてありますが、この桂昌院という女性、なかなか興味深い人物です。
寛永四年(1627)の生まれで名前は光子、父親は京都の八百屋だという説があります。
その父が亡くなった後、母は賄い奉公先の本庄宗正と再婚します。
本庄宗正が二条家の家臣だったことからか、光子は六条家のお万の方の輿入れに同行し、江戸城奥勤めになります。
後に春日局の目に止まって、秋野という名前で将軍付き中臈に取り立てられます。
そこで将軍・家光のお手がついて、側室・お玉の方となります。
「玉の輿」という言葉は、ここからきているんだそうで。
そして将軍のお種を宿し、無事男子を授かりたいと、以前から帰依していた「大聖護国寺」二十四世住職・亮賢僧正の祈祷を受けます。
亮賢僧正の「将来、天下を取る男子が生まれる。」という予言通り、正保三年(1646)男子・徳松(後の綱吉)を産み、ついには将軍の母・桂昌院にまで上り詰めるという訳です。
この亮賢僧正は、「大聖護国寺」へ来る前は小野小町伝説のある富岡「得成寺」(とくしょうじ)の住職だったということで、同じような話が「得成寺」にも伝わっています。
「大聖護国寺」の参道左側、「阿弥陀堂」の横に、徳川綱吉、桂昌院、亮賢僧正の供養塔が並んで建っています。
本堂には、亮賢僧正像の後ろに、桂昌院が寄贈した本尊・不動明王像と三十六童子像が祀られています。
三十六童子像は今も修復作業中で、昨年の12月1日~6日の間、その工程が客殿に展示されていました。
その時は、仏師の方々の作業風景も見学することができ、大変感動いたしました。
その外、いろいろお伝えしたいことはあるのですが、あまりにも長くなりそうなのでこの辺に留めておきましょう。
「大聖護国寺」さんのHPが大変すばらしい出来栄えで、沢山の写真・資料も惜しみなく公開されていますので、どうぞそちらをご覧ください。
ところで、昔から参道にあるこの木、面白いんですよね。
伽羅の幹の虚に、楓がちゃっかり根を張って生きてるんです。
これも一つの「玉の輿」・・・?
そして、もうひとつ面白いものを見つけました。
「大聖護国寺」の門前から隣の「八幡八幡宮」境内に続く小道の途中、高台に建ってる大きな石碑。
どこかで見たような・・・。
前回の記事で、「剣崎小路城」跡だという「御嶽山神社」に建っていた石碑とそっくりじゃないですか。
そう言えば「新編高崎市史資料編3」に、「剣崎小路城」は「大聖護国寺の東南にあり、この寺のある丘を背負う形になっている。」と書いてありました。
そっくりな二つの「御嶽山座主大権現碑」は、そのことと関係あるのでしょうか。
「剣崎小路城跡」の推定地から、「大聖護国寺」方向を遠望してみました。
道祖神と庚申塔が、疫病の侵入を見張っているようでした。
昭和五十三年(1978)に再建されたという本堂は、平成二十八年(2016)の開山八百年を機に改修されて、きれいになりました。
平成二十四年(2012)に撮影した写真に、改修前の本堂が写っていました。
平成二十九年(2017)には客殿、令和元年(2019)には阿弥陀堂と書院も建立されました。
史跡看板に、「大聖護国寺」と徳川五代将軍・綱吉の母・桂昌院との関係が書いてありますが、この桂昌院という女性、なかなか興味深い人物です。
寛永四年(1627)の生まれで名前は光子、父親は京都の八百屋だという説があります。
その父が亡くなった後、母は賄い奉公先の本庄宗正と再婚します。
本庄宗正が二条家の家臣だったことからか、光子は六条家のお万の方の輿入れに同行し、江戸城奥勤めになります。
後に春日局の目に止まって、秋野という名前で将軍付き中臈に取り立てられます。
そこで将軍・家光のお手がついて、側室・お玉の方となります。
「玉の輿」という言葉は、ここからきているんだそうで。
そして将軍のお種を宿し、無事男子を授かりたいと、以前から帰依していた「大聖護国寺」二十四世住職・亮賢僧正の祈祷を受けます。
亮賢僧正の「将来、天下を取る男子が生まれる。」という予言通り、正保三年(1646)男子・徳松(後の綱吉)を産み、ついには将軍の母・桂昌院にまで上り詰めるという訳です。
この亮賢僧正は、「大聖護国寺」へ来る前は小野小町伝説のある富岡「得成寺」(とくしょうじ)の住職だったということで、同じような話が「得成寺」にも伝わっています。
「大聖護国寺」の参道左側、「阿弥陀堂」の横に、徳川綱吉、桂昌院、亮賢僧正の供養塔が並んで建っています。
本堂には、亮賢僧正像の後ろに、桂昌院が寄贈した本尊・不動明王像と三十六童子像が祀られています。
三十六童子像は今も修復作業中で、昨年の12月1日~6日の間、その工程が客殿に展示されていました。
その時は、仏師の方々の作業風景も見学することができ、大変感動いたしました。
その外、いろいろお伝えしたいことはあるのですが、あまりにも長くなりそうなのでこの辺に留めておきましょう。
「大聖護国寺」さんのHPが大変すばらしい出来栄えで、沢山の写真・資料も惜しみなく公開されていますので、どうぞそちらをご覧ください。
ところで、昔から参道にあるこの木、面白いんですよね。
伽羅の幹の虚に、楓がちゃっかり根を張って生きてるんです。
これも一つの「玉の輿」・・・?
そして、もうひとつ面白いものを見つけました。
「大聖護国寺」の門前から隣の「八幡八幡宮」境内に続く小道の途中、高台に建ってる大きな石碑。
どこかで見たような・・・。
前回の記事で、「剣崎小路城」跡だという「御嶽山神社」に建っていた石碑とそっくりじゃないですか。
そう言えば「新編高崎市史資料編3」に、「剣崎小路城」は「大聖護国寺の東南にあり、この寺のある丘を背負う形になっている。」と書いてありました。
そっくりな二つの「御嶽山座主大権現碑」は、そのことと関係あるのでしょうか。
「剣崎小路城跡」の推定地から、「大聖護国寺」方向を遠望してみました。
道祖神と庚申塔が、疫病の侵入を見張っているようでした。
【大聖護国寺】