昭和55年(1980年)に、高崎観光協会が発行した「高崎市観音山観光診断に基づく提案レポート」というのがある。
どのくらいの人の目に触れたか分からないが、結構いいところを突いたレポートなのである。
このレポートで提案されていることを、もしも真面目に推進していたならば、今と全く異なる観光地になっていたのではないかと思われる。
また、このレポートで提案されていることは、高崎市全体の都市計画としても、実に多くの示唆を含んでいる。
何回かに分けて、その内容をご紹介しようと思う。
このレポートのために、商業文化研究所に「観光診断」を依頼した人物は、(社)高崎観光協会会長の沼賀健次氏である。
おそらく、昭和46年から62年まで高崎市長を務めた沼賀健次氏が会長を兼務していたのであろう。
豪放磊落な市長として、有名であった。
「観光診断」は、昭和54年8月から5ヶ月間にわたって、調査・分析が行われている。
その報告書は80頁にも及ぶもので、大量かつ多方面にわたるデータをもとに、29年後の現在においても新鮮で、奥の深い提案がされている。
今日は、レポートのまとめとなる部分から、共感するところを抜き出してみた。
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「観光開発の基本はここにある」
地域が「観光」について論する場合、決して忘れてはならぬ課題があるので、それを述べておきたい。
それは、世界的にみても日本においても、優れた「観光地」というのは、自然が美しいとか、施設が良いということだけではない、ということなのである。
もちろん、これらも大切な問題には違いないが、しかし、自然は決して地域住民や企業努力、行政努力によってつくられたものではなく、敢えて言うならば天からの恵みである。
また、施設も良いものにこしたことはないが、これは「物」でしかない。
人々が「観光」に求めているものは、そうした天の恵みや人工的ハードウェアではなく、
・未知の人々とのふれあいであり
・そのふれあいをベースにした、様々な体験であり
・新たな体験を通して得られる感動
であると思う。
見かけだけの豪華さ、美しい自然とは似ても似付かぬスレッカラシのサービス、全国どこ行っても同じありふれた土産品や料理、先進地に学ぶと言えば聞こえは良いが、そのまま引き写したようなイミテーション施設etc・・・これでは感動どころか、訪れて腹立たしさを感じざるを得まい。
高崎は歴史的にも古く、近世江戸時代も有名な都市であり、それだけに、
この伝統文化をベースにさらに高揚し発展させ、ときには、
近代化という名の俗悪化によって見失われた伝統を再発掘し、
わが故郷の素晴らしさを、訪れる人々に誇りをもって堂々と示し、体験させる。
この努力を行うべきであると考える。
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いかがであろうか。29年前の提案である。
今現在、目にする高崎の町の様子は、まるで反対の動きをしているように見える。
次回以降、レポートの具体的な提案をご紹介していくこととする。
どのくらいの人の目に触れたか分からないが、結構いいところを突いたレポートなのである。
このレポートで提案されていることを、もしも真面目に推進していたならば、今と全く異なる観光地になっていたのではないかと思われる。
また、このレポートで提案されていることは、高崎市全体の都市計画としても、実に多くの示唆を含んでいる。
何回かに分けて、その内容をご紹介しようと思う。
このレポートのために、商業文化研究所に「観光診断」を依頼した人物は、(社)高崎観光協会会長の沼賀健次氏である。
おそらく、昭和46年から62年まで高崎市長を務めた沼賀健次氏が会長を兼務していたのであろう。
豪放磊落な市長として、有名であった。
「観光診断」は、昭和54年8月から5ヶ月間にわたって、調査・分析が行われている。
その報告書は80頁にも及ぶもので、大量かつ多方面にわたるデータをもとに、29年後の現在においても新鮮で、奥の深い提案がされている。
今日は、レポートのまとめとなる部分から、共感するところを抜き出してみた。
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「観光開発の基本はここにある」
地域が「観光」について論する場合、決して忘れてはならぬ課題があるので、それを述べておきたい。
それは、世界的にみても日本においても、優れた「観光地」というのは、自然が美しいとか、施設が良いということだけではない、ということなのである。
もちろん、これらも大切な問題には違いないが、しかし、自然は決して地域住民や企業努力、行政努力によってつくられたものではなく、敢えて言うならば天からの恵みである。
また、施設も良いものにこしたことはないが、これは「物」でしかない。
人々が「観光」に求めているものは、そうした天の恵みや人工的ハードウェアではなく、
・未知の人々とのふれあいであり
・そのふれあいをベースにした、様々な体験であり
・新たな体験を通して得られる感動
であると思う。
見かけだけの豪華さ、美しい自然とは似ても似付かぬスレッカラシのサービス、全国どこ行っても同じありふれた土産品や料理、先進地に学ぶと言えば聞こえは良いが、そのまま引き写したようなイミテーション施設etc・・・これでは感動どころか、訪れて腹立たしさを感じざるを得まい。
高崎は歴史的にも古く、近世江戸時代も有名な都市であり、それだけに、
この伝統文化をベースにさらに高揚し発展させ、ときには、
近代化という名の俗悪化によって見失われた伝統を再発掘し、
わが故郷の素晴らしさを、訪れる人々に誇りをもって堂々と示し、体験させる。
この努力を行うべきであると考える。
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いかがであろうか。29年前の提案である。
今現在、目にする高崎の町の様子は、まるで反対の動きをしているように見える。
次回以降、レポートの具体的な提案をご紹介していくこととする。