
「観水園」は、白衣大観音を建立した井上保三郎氏が晩年を過ごした井上家別邸である。
眼下に烏川を望み、その向こうには観音山丘陵が横たわる。
保三郎氏は、ここ「観水園」で観音山一帯を大公園にして、商工業都市高崎を、観光文化都市としてさらに発展させるという、壮大な計画を練り上げていた。
昭和8年(1933年)保三郎氏65歳の時には、同志を募って「観音山公園保勝会設立趣旨書」をまとめ、高崎市に働きかけを始めている。
だが、この時点ではまだ「大観音像」を建てるという構想は持っていなかったようだ。
趣旨書の標題にある「観音」とは、石段上の清水寺観音堂を指していると思われる。

教授からは、五重の塔か三重の塔がいいだろうと言われたそうだが、結局、保三郎氏が子どもの頃から信仰してきた「観音さま」に決めたという。
おそらく、単なる「大きな物」ではなく、「観音さま」の慈悲による衆生の救済と、度重なる事変(戦争)から平和な世になることを願ってのことだろうと推察する。
白衣大観音の開眼が済んだ2年後、保三郎氏は「観水園」で、70年の生涯を閉じた。
保三郎氏が描いた壮大な「観音山大公園」計画は志半ば、未完のままとなっている。

高崎市として何とかならなかったものかと、実に残念な思いである。
わずかに、当時を偲ばせる建造物が近くに残っていることが、せめてもの救いである。
しかし、これとて、いつまで残してもらえるか・・・。


路傍のお地蔵様に、ただただお願いするばかりである。

(参考図書:横田忠一郎氏著「高崎白衣大観音のしおり」 発行:あさを社)