高崎市民に「観音様」と言えば、おそらく全員が観音山の「白衣大観音」のお姿を思い浮かべるに違いない。
それほど市民に親しまれ、誇りに思われている「観音様」だが、その実物大(たぶん)の「足あと」を見たことがある人は、もしかすると少ないかも知れない。
その「足あと」は、観音山頂上駐車場の地面に残って(?)いる。
写真の人物と比べると大きさが分かると思うが、大きい故に気が付かない人も多いのではないだろうか。
駐車場の隅にある、観光センターの2階展望台に上るとよく分かる。
誰のアイデアか知らないが、洒落たことをしたものだ。
展望台には、「観音様」建設の様子を描いた、パネルが掲示されている。
何もない山の頂上を、人力で切り開いている様子が分かる。
この頃(昭和10年前後)、一反(300坪)30円でも買い手が無い山林だったそうだ。
ところが、「観音様」が建つという噂で、いっぺんに100円に跳ね上がったという。
職人の日当が、約1円だった時代だ。
参道になる予定の山林は、高崎市街地並みの値段になったというから、
古今東西、恐ろしきは人間の強欲である。
工事は、人手とローテクな道具だけで行われたようであるが、それでいて建設期間は3年だというから驚きだ。
まるで、エジプトのピラミッドを作っているような雰囲気である。
右の絵を見ても、昔の職人さんたちが如何に優れた身のこなしをしていたか、うかがい知ることができる。
この足場で、安全帯を着けるでもなく、天秤棒で重いセメントを担ぎあげ、今なら労働基準監督署が黙ってはいないだろう。
「観音様」は、そうやって昭和11年(1936年)に開眼した。
「観音様」建設にまつわる秘話を、元井上工業の番頭さんと言ってもよい横田忠一郎氏が、「高崎白衣観音のしおり」に書き残してくれている。
次回から、少しづつご紹介していこう。
それほど市民に親しまれ、誇りに思われている「観音様」だが、その実物大(たぶん)の「足あと」を見たことがある人は、もしかすると少ないかも知れない。
その「足あと」は、観音山頂上駐車場の地面に残って(?)いる。
写真の人物と比べると大きさが分かると思うが、大きい故に気が付かない人も多いのではないだろうか。
駐車場の隅にある、観光センターの2階展望台に上るとよく分かる。
誰のアイデアか知らないが、洒落たことをしたものだ。
展望台には、「観音様」建設の様子を描いた、パネルが掲示されている。
何もない山の頂上を、人力で切り開いている様子が分かる。
この頃(昭和10年前後)、一反(300坪)30円でも買い手が無い山林だったそうだ。
ところが、「観音様」が建つという噂で、いっぺんに100円に跳ね上がったという。
職人の日当が、約1円だった時代だ。
参道になる予定の山林は、高崎市街地並みの値段になったというから、
古今東西、恐ろしきは人間の強欲である。
工事は、人手とローテクな道具だけで行われたようであるが、それでいて建設期間は3年だというから驚きだ。
まるで、エジプトのピラミッドを作っているような雰囲気である。
右の絵を見ても、昔の職人さんたちが如何に優れた身のこなしをしていたか、うかがい知ることができる。
この足場で、安全帯を着けるでもなく、天秤棒で重いセメントを担ぎあげ、今なら労働基準監督署が黙ってはいないだろう。
「観音様」は、そうやって昭和11年(1936年)に開眼した。
「観音様」建設にまつわる秘話を、元井上工業の番頭さんと言ってもよい横田忠一郎氏が、「高崎白衣観音のしおり」に書き残してくれている。
次回から、少しづつご紹介していこう。
(参考図書:横田忠一郎氏著「高崎白衣観音のしおり」)