2009年12月16日

「切干塚(首塚)」伝承 最終話

昭和三十二年(1957)に出版された、萩原進氏著「騒動(群馬県農民運動史ノート)」に、「元和三年高崎領の騒動」として下小鳥村の事件が取り上げられています。

その中に、「この事件の裏面について、一説には次のように伝えられている。」として、こんな話が紹介されています。

(  )内は、迷道院加筆
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この年、連年の不作でこの地方の農民は年貢も納められず、ひたすら藩の情けある処置にすがる外なかったのであったが、この時の直接支配役人は、従来の上郷受持ち代官に代わって、横瀬郷大夫という悪人物が就任した。
その年の収穫を検査する検見の日になると、そのひどいやり方は常識では考えられない苛重の査定であった。

ことに甚兵衛藤蔵という二人の(所有する)田の査定はひどかった。
というのは、かねて甚兵衛下小鳥村名主茂左エ門の甥であり、その娘小夜と許嫁の仲であったからで、郷大夫は不倫にもこの小夜に目をつけて横恋慕していたからであるという。

いよいよ手渡された課税の決定書(仮免状)を見て村人は驚いた。
到底納めることのできない不当なものだったからである。
これでは暴動を起こすか死ぬかの何れかの道を選ぶ以外になくなった。
十月十七日、命ぜられた年貢納めの日は納める者はなく、二の納め、三の納めにも勿論完納できなかった。
僅か半分位であったという。
当時の年貢は、個人ではなく村単位で課せられました。)

責任上、村役人の名主、年寄といった主だった人々は、自分の食い料まで出したが、それでも足りない。
城米が完納できないと、郷大夫は自分の責任になるので、ついに強制徴発を行うこととなった。

郷大夫は名主の家に村民を集めて、年貢の完納方を命じ、名主を泥棒呼ばわりさえしたのである。
その上、村民を「犬畜生め」と呼ぶのであった。
無茶な検見をし、領民の苦しさも知らず、この態度ではもはや我慢できなくなったので、誰いうとなく、直接行動で郷大夫を殺そうと話し合い、その帰途を待伏せて遂に郷大夫とその一行を殺傷してしまった。
村民の中からも死者を出した。

事態の急を知って、高崎城から藩兵を繰り出し、一応この場は鎮定したが、捕えられた関係者の裁判が行われるという翌年一月四日、この日は、村から他村へ行った者も実家に帰る日で、村の家々は正月らしい賑やかさが、それでも一応は漂っていた夜のことである。
高崎藩主松平丹波守の手勢と、安中藩主水野の手勢は下小鳥村を襲い、銃声を合図に各戸を襲い、泣き叫ぶ家人を片端から殺した。

村の蓮花院の住職も百方手を盡したが及ばず、一夜明けた村は、死屍累々、この世の地獄図絵であった。
しかも屍体は村の西裏に掘られた穴の中に投げ込まれた。
名主茂左エ門は変装してひとまず逃げ、先に隠れた甚兵衛小夜の所に駆けつけ、一目会った上で、郷倉の中で自殺するつもりであったが、藩兵に発見されて殺されたということである。

この時の人穴を、「切干塚」とか「首塚」と呼んで、子孫は永久に残酷な悪領主の仕打ちを忘れないしるべとした。
その後、供養のために石地蔵が建てられ、後に石碑も建てられたということである。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

この伝承では、登場人物の具体的な名前が何人も出てきて、あたかも講談を聞くかのように情景が浮かびます。
しかし、水野氏が安中藩主に就いたのは、慶安元年(1648)です。
事件のあったという元和三年(1617)の30年後ですので、ちょっと時期が合いません。

事件があったのか無かったのか、どの話が真実なのか、それは神のみぞ知ることかも知れません。
後世の者としてはそのことよりも、人間はどのような状況に置かれると恐ろしいことを仕出かす生き物なのか、よくよく学ぶことの方が大切ではないでしょうか。

これで、下小鳥「切干塚(首塚)」伝承について、私が入手した資料は全てです。
長い間、この話にお付き合い頂き、ありがとうございました。




同じカテゴリー(…切干塚(首塚))の記事画像
「切干塚(首塚)」伝承 第四話
「切干塚(首塚)」伝承 第三話
「切干塚(首塚)」伝承 第一話
「切干塚」の不思議
同じカテゴリー(…切干塚(首塚))の記事
 「切干塚(首塚)」伝承 第四話 (2009-12-13 06:55)
 「切干塚(首塚)」伝承 第三話 (2009-12-11 08:44)
 「切干塚(首塚)」伝承 第二話 (2009-12-09 08:15)
 「切干塚(首塚)」伝承 第一話 (2009-12-06 07:58)
 「切干塚」の不思議 (2009-12-04 07:45)

Posted by 迷道院高崎 at 07:51
Comments(29)…切干塚(首塚)
この記事へのコメント
迷道院探偵のご活躍、お疲れ様でした。
今回のシリーズも良かった~a。

下小鳥の「切干塚(首塚)」伝承については、新しい資料の発見を待つ、ということでしょうか。
近世ですから、どこからか突然文字資料が出てくる可能性もありますね。
年貢台帳とか土地の譲渡証文あたりから、その間 断絶だったら断絶として書かれていると思うのですが・・・。権力サイドの隠ぺい工作もあったと思うのですが、公文書は名主層の手で半永久保存されていることが少なからずあるので、他の地域からある日研究者が発掘という可能性に期待です。
5万石騒動とあわせて、民衆の側からの再調査の必要がありそうですね。

貴重な追跡調査、ありがとうございました。
Posted by 夢寅  at 2009年12月17日 17:56
>夢寅さん

お付合い頂いた夢寅さんも、さぞお疲れだったでしょう。
感謝申し上げます。

新資料が出てきたら面白いですねー!
若き研究者に期待したい所です。

これから、旧三国街道を辿ります。
また、よろしくお付き合いのほど、お願い申しあげます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年12月17日 20:04
2011年1月の
高崎五万石騒動研究会例会でのことです。
昨秋開催した140周年記念行事の
DVDができたのでみんなで振り返りました。

その中に、下小鳥町の八木節がありました。
そこで、迷道院さんがここに書かれていた
首塚の伝承についての概要を
話題にしたところ、
萩原氏が
「高崎藩で一揆が起こらなかったのは
この下小鳥の事件が有ったからだという説が
あるんですよ」と言われ、
「いちじんさん、次回そのレポートをして下さい」と頼まれてしまいました。

この事件に関して詳しい迷道院さんから、
直接お話しして頂けないでしょうか?

次回は2月19日(土)
10時~12時
高崎城趾公民館です。

このページ(三国街道)を
碓井さんが読み始めたというのを
知り、わたしも開けてみた次第です。

碓井さん→三国街道→迷道院さん→
下小鳥の首塚伝承→五万石研究会
という流れなので
このコメントに書き込みました。
よろしくお願いします。
Posted by いちじん  at 2011年01月26日 22:32
高崎藩で一揆が起こらなかったのは
下小鳥の事件が有ったからだという説・・
ということは、首塚伝承が一揆の抑止力となったということですか。なるほど。
それで得をしたのは「藩」?
下小鳥の事件は奥が深そうです。
福田先生の「白馬童子」とともに興味津津です。
ところで五万石騒動は、一揆だったんですか?
そうではないような気がしているのですが。
あっ、これは五万石コーナーの話題でしたね。
Posted by kogenin2009(碓井)  at 2011年01月27日 18:08
>いちじんさん

これはこれは、お引立てを頂いて誠に有難いお話なのですが、私には荷が勝ち過ぎるお話です(^_^)
読みかじり聞きかじり程度の私が、先生や諸先輩方を前にお話しするなど、滅相もありません。
せいぜい、ブログ記事をご紹介頂くことでご容赦を。

それと2月19日(土)の同じ時間に、観音山の慈眼院で、先日上毛新聞に載っていた「ジョウモウ大学」のプレセミナーがありまして、そちらへ出席する予定にしております。

研究会の皆様に、よろしくお伝えください。
ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月27日 21:50
>碓井様

下小鳥の事件は、不思議な事件です。
六郷地区の歴史を調べている方が、あの地域の歴史資料がほとんど残っていないと仰ってました。
同じようなことが起きるのを恐れてのことではないかということです。
後々まで、下小鳥の農民にとってトラウマになったことは間違いないと思います。

五万石騒動は、一揆とは違うというのが地元の歴史研究家の見解になっています。
初めから武力行使を考えていない「訴願」ですからね。

高崎藩の政治には、農民ばかりでなく町の商人も反感を持っていたようで、だからこそ、城下へ押し出してきた大勢の農民に、炊出しまでして応援したんだということです。

長岡の「米百俵」に匹敵する物語になると思うのですが、何とか映画にしたいものですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月27日 22:18
迷道院さんへ

今日、五万石騒動研究会の
1月の会報が
届きました。
会員の中に2月19日では
都合が悪い方がいて、
2月26日に
急遽、変更になっていました。

わたしは、26日は
公演前日で
リハーサルがあり、
例会に出られなくなりました。
迷道院さんは
如何でしょうか?
しつっこくお願い申し上げます。



碓井さんへ

帰高される日を
2月26日に調整して
是非、五万石騒動研究会に
参加してください。
期待しています。

定例会は
土曜日なのですが
第何土曜日とは決まっていません。
会員の都合で調整して
次回を決めます。
今回のように変更になることもあります。

ですから、
3月の例会はまだ
分かりません。
Posted by いちじん  at 2011年01月28日 00:20
なるほど、五万石騒動は一揆ではなく「訴願」だった。そうですね。
たしか、青木先生の論文では農民側のこうしたメンタリティー=為政者に対する旧来からのメンタリティーに言及・分析していたような・・・ちょっと読み返しています。

炊き出しのエピソードは、騒動の中でも印象的で大好きなシーンです。その背景に、迷道院さんの言われるような市民感情があったというのも興味深いです。高崎の良き土地柄が浮かび上がってきますよね。

映画ですね。
たしかに表現手段としてはいろいろあります。
かるたもそうですし、紙芝居もそうですし、星野先生の物語(小説)もそうですし、映画もそのひとつですね。ただし(職業柄)、映像は、クオリティーをだそうとすると、それなりのお金がかかってしまうのが難点です。
あるいは、舞台(劇)の方が手っ取り早いかもしれません。シナリオをつくって人が演じる、ということでは、ある工程までは映画と同じですから。
いちじんさんが参加されている市民劇団とか、紙芝居のDVDにも市民劇団のサポートがあったと記憶していますが・・・。なにやら、勝手に夢を語るコメントになってしまいました。失礼。

いちじんさま

2月の第3週末(18~)第4週末(25~)と仕事で動けません。絶好の機会を与えていただきましたが、残念です。
一方で、当方も本件に関してレベルアップを図らねばなりませんので、こちらを急ぎます。
よろしくお願いします。
Posted by kogenin2009(碓井)  at 2011年01月28日 14:21
>いちじんさん

メールでも申し上げましたが、いちじんさんがご出席される時に、一度、見学参加させて頂きたいと思います。

お声掛け、有難く思っております。
宜しくお願い申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月28日 22:21
>碓井様

映画はやはりお金がかかりますか。
そうでしょうねー。

長岡には「米百俵財団」というのがあるらしいですが、高崎にも「五万石財団」というのが欲しいです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月28日 22:49
碓井さんへ

1月の例会で
会員がそれぞれこれからの抱負を
語りました。
わたしは夢として
五万石騒動を劇にして
演じてみたいと
提案しました。
そしたら、
佐藤行男氏がシナリオなら
書いたことがあるから
やりましょうと
名乗りを上げてくれました。
それから
呼び込みをするとか
背景なら引き受けるとか
話が弾みました。
まだ、夢ですが
もしかしたら
実現できるかも・・・

これいちじんの
単なる
思ひつ記です。

映画はお金がかかりますか?
何千万ではなく
何億の単位ですか?
優れたシナリオなら
スポンサーが
着くとかしないものでしょうか?

群馬県の人口が200万人を
越えた記念に
県が
映画「眠る男」を作りましたが
高崎市が
中核都市になった記念に
映画「高崎五万石騒動」を
作るなんて
素敵な夢ではないでしょうか。


迷道院さんへ

是非一度ご参加ください。
お待ちしています。
Posted by いちじん  at 2011年01月29日 01:47
>いちじんさん

五万石騒動の演劇や映画ができたら素晴らしいですね。
その収益で五万石騒動記念館が設立できたら、なお素晴らしいと思います。

「思うは叶う」で、思い続けましょうね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月29日 20:57
迷道院さんへ 碓井さんへ

30日朝、メールを確認すると
佐藤行男氏から
星野氏の「彩られた稜線と稲穂」を
ベースにした
シナリオが送られて
来ていました。

これから
煮詰めていくとのことですが
ほとんど出来上がった
作品でした。
佐藤氏、仕事が速い。
「全力老人」だ。

これからゆっくり
読んで行きたいと思います。
Posted by いちじん  at 2011年01月30日 11:15
「眠る男」、ありましたね。小栗康平さん(?)。

生業という立場から、映画はたしかにお金がかかりますが、企画の内容次第、やり方次第です。学生たちが100万200万で(手弁当のボランティアスタイルで)自主制作してバカ受けしてしまうケースもありますので、何億円も必要はないと思いますが、100万200万でも、とにかくお金はかかるという感じで、ピンキリです。

内容的にも、エンターテインメントとして劇=芝居仕立てのやり方もあれば、研究成果をドキュメンタリー仕立てで啓蒙的に表現するやり方もあります。劇を交えて、史実はきちんと解説するみたいな中間のやり方もありえますから、一口に映画(映像)といっても手法はいろいろ考えられそうですね。

「五万石記念館」、歴史好きには魅力的です。
歴史博物館には、五万石常設コーナーは無いのですか。

劇のシナリオは既にあるとのこと、やはり舞台化が手っ取り早いように感じました。
Posted by kogenin2009(碓井)  at 2011年01月30日 17:12
>いちじんさん、碓井様

何だか、動き始めたみたいですね。
夢は言葉にしてみるものです。

実現することを期待して、心より応援しております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年01月30日 21:58
いちじんさま、迷道院さま

五万石研究会には、迷道院さん同様、いちじんさんがご出席するときに、見学させていただきければ幸いです。
本件、長丁場でのご指導のほど、よろしくお願いします。
Posted by kogenin2009(碓井)  at 2011年02月01日 10:22
>碓井様

良いご縁が結ばれ、よかったなぁと思っています。
これからも、宜しくお付き合いのほどお願い申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年02月01日 21:28
一昨年の9月より、高崎市上小鳥町に住んでいます。
この首切り塚の事について、今年の夏に知り、大変ショックを受けると共に、高崎市の歴史を学ぶと言う、いい勉強ができました。
これからも、もっと色々と掲載される事を期待します。
Posted by 高崎在住  at 2011年12月08日 22:43
>高崎在住さん

上小鳥にお住まいですか。
私もその辺を大分うろつきまして、歴史的にも面白いものが沢山ある事を知りました。

拙ブログが、お散歩のお役に立てたら嬉しいです。
今後ともよろしくお付き合いください。

ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年12月09日 09:22
ご無沙汰しております。
あれから色々と貴方の記事を見ているうちに、一つ提案があるのですが、聞いていただけますでしょうか?
それは、歴史に因んだ劇を行うと言う事なのですが・・・・・・
住民の皆さんの協力もあるでしょうし、時間の都合や色々と場所の設定やら予算の関係とか、大変な所もあると思います。けれど、その町の歴史や文化を広めると言う点で、非常に大切な事だと思います。学生さんをはじめ、多くの人々に、
「こう言う時代の背景もあったんだよ」
と伝えていけれたら、どれ程幸せなのだろうかと思いますが、どうでしょうか?
無論、台本やその歴史についての専門家も要る事でしょうし、中々すんなりといかないかも知れません。が、やっぱり個人的にはそう言う事も大切なのかな(?)と思います。
もしこれが現実となった際、例えば、群テレさんやNHKさんに、ドラマとしての評価はどうか?とか、色々な評価があると思います。やはり第二の故郷である高崎市に思い入れがあるのですが、いかがでしょうか?
長々とした長文で申し訳ありませんが、ご検討の程、宜しくお願いいたします。
Posted by 高崎在住  at 2012年02月17日 21:42
>高崎在住さん

お久しぶりです!

私如き者へのご提案、身に余る光栄です。
また、「高崎を第二の故郷として思い入れがある。」と仰って頂き、とてもとても嬉しく思います。

さてご提案の歴史劇についてですが、これは相当大がかりなことになりそうですね。
私の力だけでは到底出来そうもないお話ですが、高崎に思い入れのある方は沢山いらっしゃると思うのです。
その方たちがそれぞれ得意とすることを持ち寄り、力を合わせれば決してできないことではないと思います。

母の残してくれた言葉に「思うは叶う」というのがあります。
こんなブログでも、思い続け、発信し続けていれば、力を貸して下さる方が少しづつ増えてくるということを実感しています。

高崎在住さんのご提案、深く心に届きました。
ありがとうございました。
がんばります!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年02月17日 22:44
高崎在住さん
初めまして。

高崎の歴史を残そうと
劇にしている方たちがいます。
明治20年にあった
箕郷町柏木沢であった降雹被害です。
題名は
「蚕影様物語」(こかげさんものがたり)
です。
概要と感想がマイブログにあります。

http://kokoronotabi.cocolog-nifty.com/kokoro/2011/11/post-716c.html

高崎五万石騒動をこのような形で
後世に伝えることが
できればと思って 願っています。

宣伝

第2回高崎市民演劇では
「小春日のなかで」を
2月26日、箕郷文化会館で上演します。
わたしは後半にちょっと出ます。
皆さん是非、お出かけ下さい。

迷道院さんには
チケットを購入して頂き
感謝しています。
Posted by いちじん  at 2012年02月18日 00:02
>いちじんさん

フォロー、ありがとうございました!

「蚕影様物語」、そうでしたね。
五万石騒動も、紙芝居まで出来てるわけですから、劇にするのも夢じゃありませんね。
市民劇団とのつながりもおありですから、期待するところ大です。

「高崎歴史劇団」なんてのができたら、いいですねー!
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年02月18日 08:32
いちじんさん、初めまして。 迷道院高崎さん、連絡が遅くなり、申し訳ありません。
さて、2月26日の件ですが、個人的に、東京へ野暮用がありまして、伺う事が出来ず、大変心苦しく思います。
高崎の歴史ですが、これ程に迄
「深い~~~!!!」
と思えた物はありませんでした。皆さんと共に歴史の事を知るのもありますが、何分、壮大な事もあるかと思います。参考資料もあればいいのですが、私個人の力では、とても無理があります。
其処で、首塚の事でですが、何方かストーリーを考えられてみてはどうかなと思います。
例えば、 迷道院高崎さんの資料を基にして、ストーリーをフィクション(若しくはファンタジー)風に仕上げられては?と思います。私はネカフェでしかPCを拝見する事しか出来ませんので、携帯電話のメアドを迷道院高崎さんよりお伺いされてみてはどうでしょうか?もし写らなければ、後日貼り付けをしておきますが、今月は何分、26日迄多忙を極めますので、中々返事を返す事が出来ないかも知れません。迷道院高崎さん、もしいちじんさんに連絡をとられるのであれば、私のメアドを教えて頂ければと思います。何分不手際が多く、ご迷惑をおかけしますが、宜しく御願いいたします。
Posted by 高崎在住  at 2012年02月18日 22:33
>高崎在住さん

いちじんさんへの連絡の件、承知いたしました。

高崎の歴史を研究されている団体の講演会や、史跡巡りなども時々行われますので、参加なさると面白いですよ。
このブログでも、ご紹介していきたいと思います。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年02月19日 08:18
迷道院高崎さん、こんばんわ。
あれから、1つ気になった物がありました。下記にある鎌原村の事について、面白い参考資料がありました。
―酔雲庵― 長編歴史小説 天明三年浅間大焼 鎌原村大変日記
これは、現在の嬬恋村の鎌原地区にある、観音堂の歴史についてのストーリです。結構下ネタもありますが、其処は加筆訂正しながら、劇もするのも面白いかと思います。無論、貴方の下小鳥の事が一番ですが、インターネットで検索されるなら、参考程度の劇の仕方も思いつくのではないかと思います。
私の稚拙な資料でしかなく、とても心苦しいのですが、いちじんさんにも是非見て頂ければと思い、調べて参りました。
来月から私の連絡先が変更になると思います。又近い内にお会い出来ればと思います。私は今、上小鳥町の文真堂書店さんの向かい側のアパートに居ますので、その書店の入り口にてお会い出来ればと思いますが、どうでしょうか?
Posted by 高崎在住  at 2012年02月29日 22:09
>高崎在住さん

鎌原の話もすごい話ですよね。
被害もさることながら、そこから村を立ち直させるための、リーダーの思い切った方策がすごいと思います。

高崎在住さんは、まさに首塚のすぐ近くだったんですね。
改めて、メールでご連絡申し上げます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年03月01日 09:18
迷道院高崎さん、ご無沙汰しております。
あれから色々と忙しく、中々お会いできずに申し訳ありません。
今月からメールが変更になりました。きちんと届いておりますでしょうか?
もしお会いできるなら、是非一度近い内にお会い出来ればと思います。
宜しくお願い致します。
Posted by 高崎在住  at 2012年03月23日 21:34
>高崎在住さん

メルアド、きちんと頂きましたよ。
こちらからも送信しましたが、届きましたでしょうか。
お会いできる日を楽しみにしております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2012年03月23日 21:59
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
「切干塚(首塚)」伝承 最終話
    コメント(29)