2009年12月18日

高崎城「乾櫓」顛末記

「飯塚の追分」から、旧三国街道を辿ろうと思いつつ、「続橋」から「幸宮神社」、そして「切干塚(首塚)」へと、随分寄り道してしまいました。
寄り道ついでに、今日はこんなお話を。

改修される前の「首塚」の写真がないかと、当時区長さんとして改修の中心になっておられた梅山太平(たへい)さんをお訪ねしました。
残念ながら、太平さんは病の床に伏しておられ、お会いすることはできませんでしたが、若奥様から一冊の本を頂戴しました。
太平氏が編集委員長となって、10年余りかけて編纂した下小鳥町「町内誌」です。

高崎城「乾櫓」顛末記高崎の歴史好きな方なら、梅山太平氏と聞くと、すぐ高崎城「乾櫓(いぬいやぐら)」を思い出すのではないでしょうか。
あの「乾櫓」梅山太平氏の家に残っていたものだということは、多くの方がご存知だと思います。
このお話は、「民家に残る高崎城」でも、ご紹介しました。

頂戴した「町内誌」の中には、「高崎城乾櫓の顛末」と題して、他の文献にはない興味深い話が出てきます。

明治初年に「乾櫓」の払い下げを受けたのは、当時、高崎領西郷の肝煎名主(きもいりなぬし)・梅山太平とあります。
今いらっしゃる梅山太平氏は大正十二年(1923)生まれですから、その先代ということでしょうか。

実は、梅山家には「乾櫓」だけではなく、「巽櫓(たつみやぐら)」も払い下げられていたようです。
本家には「巽櫓」、分家には「乾櫓」が、それぞれ納屋として使われていたとありますが、「巽櫓」の方は解体されてしまったのでしょうか。
「乾櫓」のあった梅山家は、元は「首塚」の前の北部環状線上にありました。

梅山家の納屋が「乾櫓」と認知されたのは、昭和二十六年(1951)のことですが、昭和四十九年(1974)に群馬県指定重要文化財となります。
ただ、これが梅山家には負担になったのかも知れません。
「乾櫓」の老朽化も進んでおり、梅山家宅が北部環状線の予定地にかかったこともあって、高崎市に寄付することを決めたようです。

寄付を受けた高崎市は、どこへ移築・復元しようか検討をします。

高崎城「乾櫓」顛末記候補に挙がったのは、
専売高松工場跡地(現・高松中付近)
北門テニスコート脇(現・姉妹都市公園付近)
             (※陸軍歩兵第十五連隊北門)

高崎城「乾櫓」顛末記旧・高崎税務署裏(現・市庁舎東南付近)
などでしたが、
最終的に音楽センター脇の現在地になったということです。

昭和五十二年(1979)の落成披露には、高崎藩主大河内家の9代当主輝聴(てるとし)の孫、大河内輝信氏も東京から招かれ出席したそうです。

明治四年(1871)の廃藩置県から、実に108年目のことでした。


さて、寄り道が過ぎました。
次回は旧三国街道を先に進むことにいたしましょう。




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Posted by 迷道院高崎 at 07:17
Comments(4)高崎町なか
この記事へのコメント
ところで1988年、竹下内閣の時の・・・・・

「ふるさと創生基金」とかの1億円は、高崎市は何に使ったのでしょうか?
Posted by 昭和24歳昭和24歳  at 2009年12月18日 08:24
四つの櫓の内二つが下小鳥の梅山宅とすると残りの二つはどうしたのかな。明治初年の払い下げの明細は存在するのですかね。
Posted by 捨蚕  at 2009年12月18日 17:15
>昭和24歳さん

そういえば、ありましたねー、そんなのが。
忘れちゃいけないのかも知れませんが、もう忘れちゃってますね。
何に使ったんでしょう?
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年12月19日 00:33
>捨蚕さん

梅山家のも、偶然発見されたということなので、どうなんでしょう、払い下げ明細は・・・。
払い下げとは言っても、実質は売却だった訳ですから、残っていなければいけませんよね。
ただ、櫓そのものが残っているかどうかですが・・・。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2009年12月19日 00:37
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高崎城「乾櫓」顛末記
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