飯塚町の「長泉寺」を訪ねた後、近くの「常福寺」にも行ってみました。
門前に、珍しい石仏があると聞いたからです。
ずらっと勢ぞろいしている石仏は、地獄で亡者の審判を行う「十王(じゅうおう)」という裁判官だそうです。
仏教では、死者は初七日から三回忌までの間、順次、十王の裁きを受けて、送り先が決まるのだとか。
品行方正ならざる私にとって、実に怖い話でありますが、昔の人も十王に裁かれるまでもなく、自身の罪は分かっていたのでしょう。
生前に十王を祀っていれば、罪を軽減してもらえると信じたかったようです。
真ん中で、ひときわ怖い顔をしているのが、「三途の川」の渡し賃(六文)を持たずに来た亡者の、衣服を剥ぎ取るという「奪衣婆(だつえば)」です。 →
← 頭が二つ乗っているのは、閻魔大王が持つという「人頭杖(にんとうじょう)」という杖だそうです。
この二つの頭は、「見る目・嗅ぐ鼻」といって、亡者の善悪を検知するのだとか。
そして、裁判結果を知らせるというのですが、その知らせ方がまた凄いのです。
重い罪の時は怒った顔の方から火を吐き、軽い時はもう一方の顔から白い蓮の花が出るのだそうです。
十王さまに、よおーっくお願いをしてから、門前の道を南に進むと、「夫婦薬師如来」のお堂がありました。
由来によると、大永三年(1523)に箕輪城主・長野業政によって祀られ、病気平癒、縁結びに霊験顕著とあります。
薬師様といえば、眼の病を治してくれる仏様です。
お堂の中には、「め」と書かれた額が奉納されていました。
薬師様の隣にもうひとつお堂があって、「如意輪観音」が安置されています。
「如意輪観音」は、頬杖をついている姿から、虫歯を治す神様とも言われているようです。
眼医者さんの隣が、歯医者さんというのは、なかなか面白いですね。
この薬師様が、なぜ「夫婦薬師」なのかは、由来にも書かれていません。
ただ、ここから200mほど東へ行ったところに、この薬師様と向かい合うように、西向きの「薬師堂」が建っています。
「常福寺」前の薬師堂を「西の薬師」、もうひとつの薬師堂を「東の薬師」と呼んでいるので、この二つを夫婦と見なしたのかもしれません。
別居中なんですかね。
「常福寺」のすぐ傍には、飯塚村の総鎮守、「飯玉神社」があります。
由来によると、もともとは「長泉寺」の屋敷稲荷として建立されたものなのだそうです。
一度焼失した後、氏子の奉賛金と献木により、十有余年を掛けて明治初年に完成したという、立派な社殿です。
境内に、昔、青年が力を競いあったという「力石」が置いてありました。
いやー、この辺り、とにかく神様・仏様がてんこ盛りです。
先人たちの信心深さに敬意を表しながら、家路につきました。
それにしても、日の落ちるのが早くなりました。
門前に、珍しい石仏があると聞いたからです。
ずらっと勢ぞろいしている石仏は、地獄で亡者の審判を行う「十王(じゅうおう)」という裁判官だそうです。
仏教では、死者は初七日から三回忌までの間、順次、十王の裁きを受けて、送り先が決まるのだとか。
品行方正ならざる私にとって、実に怖い話でありますが、昔の人も十王に裁かれるまでもなく、自身の罪は分かっていたのでしょう。
生前に十王を祀っていれば、罪を軽減してもらえると信じたかったようです。
真ん中で、ひときわ怖い顔をしているのが、「三途の川」の渡し賃(六文)を持たずに来た亡者の、衣服を剥ぎ取るという「奪衣婆(だつえば)」です。 →
← 頭が二つ乗っているのは、閻魔大王が持つという「人頭杖(にんとうじょう)」という杖だそうです。
この二つの頭は、「見る目・嗅ぐ鼻」といって、亡者の善悪を検知するのだとか。
そして、裁判結果を知らせるというのですが、その知らせ方がまた凄いのです。
重い罪の時は怒った顔の方から火を吐き、軽い時はもう一方の顔から白い蓮の花が出るのだそうです。
十王さまに、よおーっくお願いをしてから、門前の道を南に進むと、「夫婦薬師如来」のお堂がありました。
由来によると、大永三年(1523)に箕輪城主・長野業政によって祀られ、病気平癒、縁結びに霊験顕著とあります。
薬師様といえば、眼の病を治してくれる仏様です。
お堂の中には、「め」と書かれた額が奉納されていました。
薬師様の隣にもうひとつお堂があって、「如意輪観音」が安置されています。
「如意輪観音」は、頬杖をついている姿から、虫歯を治す神様とも言われているようです。
眼医者さんの隣が、歯医者さんというのは、なかなか面白いですね。
この薬師様が、なぜ「夫婦薬師」なのかは、由来にも書かれていません。
ただ、ここから200mほど東へ行ったところに、この薬師様と向かい合うように、西向きの「薬師堂」が建っています。
「常福寺」前の薬師堂を「西の薬師」、もうひとつの薬師堂を「東の薬師」と呼んでいるので、この二つを夫婦と見なしたのかもしれません。
別居中なんですかね。
「常福寺」のすぐ傍には、飯塚村の総鎮守、「飯玉神社」があります。
由来によると、もともとは「長泉寺」の屋敷稲荷として建立されたものなのだそうです。
一度焼失した後、氏子の奉賛金と献木により、十有余年を掛けて明治初年に完成したという、立派な社殿です。
境内に、昔、青年が力を競いあったという「力石」が置いてありました。
いやー、この辺り、とにかく神様・仏様がてんこ盛りです。
先人たちの信心深さに敬意を表しながら、家路につきました。
それにしても、日の落ちるのが早くなりました。
(参考図書:「徐徐漂たかさき」「高崎漫歩」)
【常福寺】
【夫婦薬師(西)】
【夫婦薬師(東)】
【飯塚町の飯玉神社】