
「花魁地蔵」は、この山門の右側にあります。

頭部も、いつからか丸石が乗せられているようで、何だか悲しそうなお姿に見えてしまいます。
お地蔵様の後ろに、「花魁地蔵尊縁起」の額が掛けられています。
前回ご紹介した言い伝えと若干異なりますが、ご覧ください。

「念ずれば花ひらく」という言葉に、「思うは叶う」というのが口癖だった母親を思い出し、ちょっと涙腺が緩んでしまいました。
「長泉寺」の境内には、小さな石仏がいろいろな所にそっと置かれているのですが、本堂の前に紅い前垂れをつけたお地蔵様が一体あります。

明治の初め頃の話だそうです。
飯塚村の貧しい農夫が、近くの貝沢堰へ魚捕りに出かけました。
ところが、その日はちっとも魚が獲れず、「左近の森」で昼寝をしていると、夢の中にお地蔵様が現れて、川の中からこう言います。
「われは左近の地蔵である。
われを世に出して信仰するならば、必ず願いごとが叶えられるであろう。」
農夫が川底を探してみると、お告げの通りお地蔵様が出てきたので、これを丁重に安置して信仰し、仕事にも精を出すようになったそうです。
すると、この農夫の田畑は豊作が続き、次第に財をなしていきました。
農夫は、毎日お地蔵様の頭にお酒をかけて、感謝したそうです。
この話を伝え聞いた人々は、我も我もと「左近地蔵」を参詣するようになり、奉納のお酒が山のように集まりました。
農夫は、この酒を参詣人や村人たちに無料で振る舞ったので、村人は昼間から酒を飲み、仕事を怠るようになってしまいました。
これを案じた村役たちは、裁判所に訴え出ました。
すると、「不届きな地蔵である。」ということで、お地蔵様は荒縄で縛られ、大八車に乗せられて、しょっ引かれて行ってしまいます。
村人たちが、前のように仕事に精出すようになった頃、村役のところに一通の書状が届きます。
そこには、こう書かれていたそうです。
「出頭中の地蔵は、再三の取り調べにも黙して語らぬので、下げ渡す。」
何とも粋な話ではありますが、無事放免されたお地蔵様の身元引受人になったのが、「長泉寺」だという訳です。
そんなことから、このお地蔵様のことを「酒呑地蔵」とか「縛られ地蔵」とか呼ぶようになったそうです。
みなさんも、このお地蔵様にお酒を供えてみてはいかがですか?
「念ずれば 花ひらく」かも知れませんよ。
(参考図書:「徐徐漂たかさき」「高崎漫歩」)
【縛られ地蔵】