ついに、最後の「高崎市名所旧跡案内板」を訪ねます。
権田の信号から中之条方面へ180mほど行くと、群バスの「権田車庫」があります。
その脇の道を、ひたすら、ただひたすら道なりに4.5kmほど行くと、左側に「拓魂之碑」というのが建っている小さな十字路があります。
右角には、「鳴石 60m」という案内板が建っています。
矢印に従って行くと、遊具の奥にそれらしい大石と史跡看板がありました。
「鳴石」という名称の由来は、倉渕支所発行の「くらぶち みどころマップ」によると、「大きな石の中が空洞の部分が多いため、軽く叩いてもコーンと響くことから」ということです。
そのためでしょうか、「鳴石」の上には「これで叩いて」というように、手ごろな石が3個置いてあります。
どんな音がするのか、叩いてみました。
叩く場所によって、いろんな音になります。
パーカッションのプロにでも叩いてもらったら、面白いかも知れませんね。
それにしても、眺めのいい場所です。
古代、ここが祭祀の場になったというのも納得ですね。
この石があることで、地名も「鳴石」と呼ばれたようですが、この地が開拓されたのはつい最近のことでした。
「拓魂之碑」に、こう刻まれています。
さて、「高崎市名所旧跡案内板」251基、これで全て廻り切りました。
ただ、最後の看板に書いてある「権田七つ石」というのが、どうにも気になる。
どうしたもんかなぁ・・・。
権田の信号から中之条方面へ180mほど行くと、群バスの「権田車庫」があります。
その脇の道を、ひたすら、ただひたすら道なりに4.5kmほど行くと、左側に「拓魂之碑」というのが建っている小さな十字路があります。
右角には、「鳴石 60m」という案内板が建っています。
矢印に従って行くと、遊具の奥にそれらしい大石と史跡看板がありました。
「鳴石」という名称の由来は、倉渕支所発行の「くらぶち みどころマップ」によると、「大きな石の中が空洞の部分が多いため、軽く叩いてもコーンと響くことから」ということです。
そのためでしょうか、「鳴石」の上には「これで叩いて」というように、手ごろな石が3個置いてあります。
どんな音がするのか、叩いてみました。
叩く場所によって、いろんな音になります。
パーカッションのプロにでも叩いてもらったら、面白いかも知れませんね。
それにしても、眺めのいい場所です。
古代、ここが祭祀の場になったというのも納得ですね。
この石があることで、地名も「鳴石」と呼ばれたようですが、この地が開拓されたのはつい最近のことでした。
「拓魂之碑」に、こう刻まれています。
「 | 昭和二十年 敗戦という我が国未曽有の事態が諸物資の窮乏を招き 中でも食糧不足は極限に達した 国は食料事情打開策の一環として緊急開拓を国策事業とした |
昭和二十一年十二月二日 吾等十三名はこの地鳴石を墳墓の地と定め勇躍入植し 一致団結理想郷建設のため努力邁進してきた」 |
さて、「高崎市名所旧跡案内板」251基、これで全て廻り切りました。
ただ、最後の看板に書いてある「権田七つ石」というのが、どうにも気になる。
どうしたもんかなぁ・・・。
【鳴石】