「諏訪神社」から街道へ出て「町屋橋」の方へ少し行くと、「宝福寺」の前に出ます。
そこに、「町屋井堰之碑」が建っています。
史跡看板もそこに建っているのですが、私の悪い癖で、その隣のお堂の方に気がいってしまうのです。
特に、そのお堂の通りに面して掲げられている看板に。
さて、これはいったい何の看板なのか。
地元の商店名を並べてあるのかなと思いましたが、県外の店もあれば個人名もあります。
お堂を建てた時の寄進者なんでしょうか。
描いてある絵も、茄子なのか、唐辛子なのか、インゲンなのか・・・。
いい暫く看板を眺めていたのですが、そうしていると不思議なもんで、うっすらと文字が見えてきたのです。
「・・・外燈建設・・・」と読み取れます。
なるほど、絵は外燈のランプとその明かりを表現しているようです。
きっと、この通りに外燈を建設した記念に、その寄附者か何かを掲示した看板なんでしょうね。
きっともうすぐ退色して読めなくなってしまうでしょうから、今の内に書き残しておきましょう。
お堂は「観音堂」だそうで、その脇に隠れるように石造物が建っています。
ふ~ん。
あ、忘れてました「町屋井堰之碑」でした。
「町屋井堰」というのは、町屋町への用水の取水堰のことらしいです。
ただ、「コンクリート製の井堰」というのがよく分かりません。
どんなものか見てみたいと思ったのですが、取水口の場所だという「町屋町字大笠43番地」というのも分かりません。
「宝福寺」近辺のお宅を訪ねてお聞きしたのですが、みなさんご存じないと言います。
4軒目のお宅で、ようやくご存知の方がいらっしゃいました。
「烏川の土手をずっと上流へ行くと、川へ下りる道があるんだよ。
大きい銀杏の木の所にある。」
言われたとおり、土手を上流へ向かってしばらく歩いたのですが、それらしい所はありません。
畑作業している方に、もう一度お聞きしました。
「あぁ、もっとずっと先だよ。
だけど、コンクリートの四角い桝があるだけだよ。
それに、ロップが張ってあってそこまで行けないよ。
造園業の人の私有地になってるし。」
ということなので、この日は行くのを諦めました。
家に帰って来てから、中島正義氏作成の「高崎の字図」を見てみたのですが、「大笠」という字はありません。
ただ、「大サカ」という字が町屋町の外れ、まさに烏川の上流にあります。
もしかすると、ここが「大笠」なのではないかと思いました。
そう思ったら、もう矢も盾もたまりません。
翌日、その近くまで車で行き、土手から下りる道を見つけて下りてみました。
すると、コンクリートの枡がありました。
これが「井堰」か?
水路もあって、町屋町の方向へ流れています。
一瞬喜んだのですが、どう見ても、あの大きな記念碑を建てるほどの代物ではありません。
それに、川からも離れすぎています。
もっと川の近くまで行ってみようと、木々の間を進んで行くと、たしかに立ち入り禁止のロープが張られていました。
しかも、胸ほどの高さの草が生い茂っていて、進むことができません。
しかたなく土手上に戻って来たものの、どうにも諦めきれずに、大きく迂回してみました。
すると、遠目に水色の水門のようなものがチラッと目に入りました。
土手を下りて、本当はいけないのかも知れませんが、桃畑の中を進んで行くと・・・、なんと、あるじゃありませんか!
伐り倒そうとしたのか斧痕の残る銀杏の木の向こうに、水門のハンドルの付いたコンクリートの枡が。
間違いありません。
上から覗くと、けっこう深くて、井戸のようです。
だから「井堰」なんですね。
「井堰」のすぐ向こうは、烏川です。
取水するための立派な堰堤がありました。
「町屋井堰之碑」から直線距離で1kmちょっと、ようやく探し当てた「町屋井堰」でした。
そこに、「町屋井堰之碑」が建っています。
史跡看板もそこに建っているのですが、私の悪い癖で、その隣のお堂の方に気がいってしまうのです。
特に、そのお堂の通りに面して掲げられている看板に。
さて、これはいったい何の看板なのか。
地元の商店名を並べてあるのかなと思いましたが、県外の店もあれば個人名もあります。
お堂を建てた時の寄進者なんでしょうか。
描いてある絵も、茄子なのか、唐辛子なのか、インゲンなのか・・・。
いい暫く看板を眺めていたのですが、そうしていると不思議なもんで、うっすらと文字が見えてきたのです。
「・・・外燈建設・・・」と読み取れます。
なるほど、絵は外燈のランプとその明かりを表現しているようです。
きっと、この通りに外燈を建設した記念に、その寄附者か何かを掲示した看板なんでしょうね。
きっともうすぐ退色して読めなくなってしまうでしょうから、今の内に書き残しておきましょう。
丸千青物店 | 沖町 |
薫風園 | 観葉植物 |
小川美術染物 | 町屋町 |
岡田正太郎 建設業 |
町屋町 |
広瀬洋服店 | 町屋町 |
櫻井商店 | 町屋町 |
大塚養魚場 | 町屋町 |
クリーニング店織茂 | 沖町 |
湯浅二郎 | 東京新聞 |
浦野畜産 | 箕郷町 |
可ん寅 | 名古屋 |
千曲社 高崎出張所 |
長野県 |
五十鈴製絲 前橋出張所 |
三重県 |
木村屋パン店 | 市内本町 |
中山房吉 | 熊ケ谷市 |
須田屋洋品店 | 沖町 |
住吉屋菓子店 | 沖町 |
広瀬農材店 | 沖町 |
十一屋酒店 | 沖町 |
江刕屋商店 | 沖町 |
大久保薬店 | 沖町 |
魚広 | 沖町 |
清水自転車店 | 沖町 |
お堂は「観音堂」だそうで、その脇に隠れるように石造物が建っています。
ふ~ん。
あ、忘れてました「町屋井堰之碑」でした。
「町屋井堰」というのは、町屋町への用水の取水堰のことらしいです。
ただ、「コンクリート製の井堰」というのがよく分かりません。
どんなものか見てみたいと思ったのですが、取水口の場所だという「町屋町字大笠43番地」というのも分かりません。
「宝福寺」近辺のお宅を訪ねてお聞きしたのですが、みなさんご存じないと言います。
4軒目のお宅で、ようやくご存知の方がいらっしゃいました。
「烏川の土手をずっと上流へ行くと、川へ下りる道があるんだよ。
大きい銀杏の木の所にある。」
言われたとおり、土手を上流へ向かってしばらく歩いたのですが、それらしい所はありません。
畑作業している方に、もう一度お聞きしました。
「あぁ、もっとずっと先だよ。
だけど、コンクリートの四角い桝があるだけだよ。
それに、ロップが張ってあってそこまで行けないよ。
造園業の人の私有地になってるし。」
ということなので、この日は行くのを諦めました。
家に帰って来てから、中島正義氏作成の「高崎の字図」を見てみたのですが、「大笠」という字はありません。
ただ、「大サカ」という字が町屋町の外れ、まさに烏川の上流にあります。
もしかすると、ここが「大笠」なのではないかと思いました。
そう思ったら、もう矢も盾もたまりません。
翌日、その近くまで車で行き、土手から下りる道を見つけて下りてみました。
すると、コンクリートの枡がありました。
これが「井堰」か?
水路もあって、町屋町の方向へ流れています。
一瞬喜んだのですが、どう見ても、あの大きな記念碑を建てるほどの代物ではありません。
それに、川からも離れすぎています。
もっと川の近くまで行ってみようと、木々の間を進んで行くと、たしかに立ち入り禁止のロープが張られていました。
しかも、胸ほどの高さの草が生い茂っていて、進むことができません。
しかたなく土手上に戻って来たものの、どうにも諦めきれずに、大きく迂回してみました。
すると、遠目に水色の水門のようなものがチラッと目に入りました。
土手を下りて、本当はいけないのかも知れませんが、桃畑の中を進んで行くと・・・、なんと、あるじゃありませんか!
伐り倒そうとしたのか斧痕の残る銀杏の木の向こうに、水門のハンドルの付いたコンクリートの枡が。
間違いありません。
上から覗くと、けっこう深くて、井戸のようです。
だから「井堰」なんですね。
「井堰」のすぐ向こうは、烏川です。
取水するための立派な堰堤がありました。
「町屋井堰之碑」から直線距離で1kmちょっと、ようやく探し当てた「町屋井堰」でした。
【町屋井堰之碑】
【町屋井堰】