「白川辻集会所」の辻の角に、道しるべが2つあります。
手前のには、正面に「右經本郷至室田」、側面に「右經西新波至髙崎 左經楽間至前橋」とあります。
向こう側のは、字が薄れてて読めません。
しかも、てっぺんにワンちゃんの置き土産。
「犬の高ぐそ」とはよく言ったもんです。
集会所のフェンスに、史跡の手作り案内板が2つ括り付けてあります。
その内の一枚が、「満光寺跡」。
ということで、先ほどの2つの道しるべの間の道を行ってみると、190mほど行った丁字路の角に史跡看板が建っていました。
「僅かに石仏や墓標を見ることができ」るというので、辺りを見渡してみると、畑の向こうに墓石がかたまっているのが見えました。
看板から南へ60mほど行くと左へ上がる道があり、その上に墓地が見えます。
上がっていくと、高台の上に古い石仏や墓石がズラーっと並んで、モアイ像のように遠くを見ていました。
その中に、看板にある「大聖護国寺の四十二世長春」の墓石がありましたので、ここに間違いありません。
並んだ石造物の中に、ちょっと気になる石祠が・・・。
丸に十字・・・、隠れキリシタン・・・?
まさかね。
満々たる春の光が、真っ白な梅の花弁に反射して、「満光寺跡」を照らしていました。
春ですなぁ。
手前のには、正面に「右經本郷至室田」、側面に「右經西新波至髙崎 左經楽間至前橋」とあります。
向こう側のは、字が薄れてて読めません。
しかも、てっぺんにワンちゃんの置き土産。
「犬の高ぐそ」とはよく言ったもんです。
集会所のフェンスに、史跡の手作り案内板が2つ括り付けてあります。
その内の一枚が、「満光寺跡」。
ということで、先ほどの2つの道しるべの間の道を行ってみると、190mほど行った丁字路の角に史跡看板が建っていました。
「僅かに石仏や墓標を見ることができ」るというので、辺りを見渡してみると、畑の向こうに墓石がかたまっているのが見えました。
看板から南へ60mほど行くと左へ上がる道があり、その上に墓地が見えます。
上がっていくと、高台の上に古い石仏や墓石がズラーっと並んで、モアイ像のように遠くを見ていました。
その中に、看板にある「大聖護国寺の四十二世長春」の墓石がありましたので、ここに間違いありません。
並んだ石造物の中に、ちょっと気になる石祠が・・・。
丸に十字・・・、隠れキリシタン・・・?
まさかね。
満々たる春の光が、真っ白な梅の花弁に反射して、「満光寺跡」を照らしていました。
春ですなぁ。
【満光寺跡の史跡看板】