2016年07月24日

史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

今回の史跡看板、どこにあるか分かりますか?

史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

速度取り締まり中のお巡りさんみたいに、こっそり隠れてます。
史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町看板に使われている写真は、ここから100mほど西、本町一丁目の角です。

正面の黒い蔵造りは、壁面に「中仙道、三国道」と道しるべが書いてあったことで有名な、薬種商「大津屋」です。

史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町現在の本町一丁目角がこれ。

となれば、さっきの史跡看板、写真右手前の植え込みあたりに建てるのが、一番いいと思いませんか?

ぜひ、再考願いたいものです。

看板の「高崎の根本・本町」というタイトルですが、寛政元年(1789)に高崎藩士・川野辺寛 (かわのべ・かん)が著した「高崎志」に、「本町ハ髙崎根本ノ町也」と書かかれています。
史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

高崎がまだ和田と呼ばれていた頃、和田城の東側を街道が通っており、「金井宿」「馬上宿」という宿場町がありました。
井伊直政箕輪から移るための新しい城(高崎城)を築く時、その宿場町が城域の中に入ってしまうことになりました。
史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

そこで、その宿場町を、新しく開く中山道沿いで城下町の北の入口に位置する場所に移しました。
そして、その町はもともと高崎の根本(こんぽん)の町であったということで、「本町」と名付けたという訳です。

看板には、伊能忠敬小林一茶が泊まったという旅籠「金升屋」のことも書かれてますね。
史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町「金升屋」の広告が、文政十年(1827)に江戸で刊行された「商家高名録」に載っています。

ここには、「金舛屋庄三郎」となっていて、旅籠業の他に「金齢丹」という痰に効く薬も売っていたようですね。

どの辺にあったのかというのは、天保二年(1831)に書かれた「中山道高崎宿往還絵図」というのに載っています。
史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

高札場の角から間口の間数を足していくと36間半(66.36m)になるので、ちょうど史跡看板の建っている駐車場辺りになりそうなんですが。

史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町茶舗「水村園」は、安政四年(1857)創業の老舗です。

「水村園」は、自前の史跡看板を店先に建てています。

実は、この史跡看板が、今回の高崎市による名所旧跡看板設置の原点となったのです。

史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町

「水村園」社長・小見勝栄氏の、高崎市観光課への働きかけが実を結んだと聞いております。

「本町は、高崎根本の町」と言われるだけあって、まだまだ多くの名所旧跡があります。
 ・伝馬問屋梶山家と高札場跡
 ・佐渡御金蔵跡
 ・遠構え跡
 ・湯屋横丁

ぜひとも、史跡看板の追加設置をして頂きたいと思います。

またもや注文で終わってしまいますが、今日はここまでと。

【高崎の根本・本町史跡看板】
史跡看板散歩-11 高崎の根本・本町






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この記事へのコメント
この史跡看板は公道や歩道などには設置できないのかもしれませんね。
先日、中村染工場の中村さんも「窮屈なところにたてさせられた」と言ってましたので、私有地に限られているのかもしれません。

本町の小保方鋼機さんも鎌倉時代から続いているとか。

今は子供も少なくなってしまった本一ですが、こうした記憶の伝承は大切ですね。
Posted by 蔵六  at 2016年07月24日 09:24
>蔵六さん

公道や歩道には設置できないんですかね。
観光地へ行くと、普通に建ってますが。
行政の思い入れと目的意識の問題だと思うんですが・・・。

水村園の小見社長の音頭取りで、「本町今昔フェスティバル」というのをやったことがあるんですね。
その一環で、「高崎本町今昔散歩道」というお散歩マップや、「本町今昔物語」という本も発行されました。
素晴らしい催しですね。

高崎の各町内でやってもらうといいと思うんですが。
高崎は一年中どこかで「今昔フェスティバル」をやってる、という町にしたいものです。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年07月24日 09:53
群馬県でも歴史、文化を一番ある高崎市が、
看板ごときに行政が邪魔していますね、
長野の松本市なら行政が率先して
設置してパンフまで作成しますね。
群馬県は、歴史的価値を疎かにしていますが、
桐生市は唯一大切に市民がしていると
思います。
Posted by wasada49  at 2016年07月24日 15:14
>wasada49さん

邪魔をしている訳でもないのでしょうが、もう一歩が出ていない感じですね。
「このくらいでいいか。」というところから、もう一歩踏み出すと本物になるんですが・・・。
その一歩は、思いの強さ、目的意識の強さから生まれるんじゃないでしょうか。

桐生の町は、行政にも市民にもそれを感じます。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2016年07月24日 16:27
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