
その石段の左に、「白衣大観音」の原型をデザインした森村酉三氏の名前を刻んだ石碑がある。
森村氏は伊勢崎市出身の彫刻家であり、井上保三郎氏の依頼に対し、郷土のためならと快く引き受けてくれたという。
当時、東京池袋にアトリエを構えていた森村氏は、観音菩薩に関する故事来歴などを研究し、環境に相応しいものをと、何回も現場を視察して、百分の一の原型を完成させたそうだ。

森村氏はそのお顔について、「天平の如意輪観音から素材をとっているが、明治、大正、昭和の美人の顔がそれぞれ織り込んである」と語っていたそうだ。
特に、参詣者と「観音さま」の目が見つめ合うような角度にすることに、大変苦労したとも聞く。

グンブロ仲間の昭和24歳さんの記事「哲学堂が泣いている」の中でも触れられていたが、田中元首相は新潟の高等小学校を卒業後、裸一貫で上京し、井上工業東京支店に住込みで働いていた。
田中元首相は、親の家産が傾いたために、極貧の幼少時代を過ごしたようである。
井上工業創始者の井上保三郎氏もまた、親が「高崎御伝馬事件」で入牢したことにより、苦境の中で幼少期を送っている。
そのような共通する体験が関係していたかどうか定かではないが、二人を結びつける何かの縁を感じてしまう。
井上工業勤務時代の田中元首相は、働きながら神田の中央工学校土木科に通っていた。
「高崎白衣観音のしおり」の著者・横田忠一郎氏は、当時のことをこう語っている。
「たまたま(井上工業)高崎本社から東京支店に出張していた横田が、事務所で仕事の打合せをしていた時のことであった。
暗くなって工事現場から帰ると早々に、夕飯を噛み噛み、数冊の本を小脇に抱えて『只今から夜学に行ってまいります。』という一青年に出会った。
いまどきの若い者にしては感心なものだと、独りうなづいていたが、この青年が将来の日本を背負う総理大臣になるとは、夢にも思ってみなかった。」

別名「一願観音」ともいい、願いをひとつだけ叶えてくれるそうである。
とくに縁結びにはご利益が高いということだ。
「観音さま」建立という大きな事業を成し遂げたのも、人と人との結び付き、ご縁のおかげであろう。
ありがたや、ありがたや。
(参考図書:横田忠一郎氏著「高崎白衣大観音のしおり」 発行:あさを社)