「おひさま」といえば奈良井宿、ということで行って参りました。
途中、何とも渋い建物が目に入りました。
お蕎麦屋さんか農産物直売所かと思いきや、これがなんと!中央本線贄川(にえかわ)駅でした。

こちらは、贄川駅のトイレです。→
贄川駅は、昭和六十二年(1987)の国鉄民営化前に既に無人駅になっていたようですが、このトイレが今の姿に改修されたのは昨年だそうです。
塩尻の観光ガイドマップの表紙には「街道ロマン探訪の旅」とあり、中には「歴史と文化が交差する宿場町探訪」と書いてあります。
観光のコンセプトを歴史街道「木曽路」に絞って、それに相応しい沿線整備に力を入れているのでしょう。
これからの地方都市は、「歴史」をキーワードとした「観光」に力を入れることが大切だと思います。
そこに気付かないと、どんどん水を開けられてしまいそうな気がします。
贄川駅のちょっと先に贄川関所がありましたので、休憩も兼ねて見学をさせて頂きました。

建物の風合いや石の載った屋根などを見ると、よく残しておいたものだなぁと思いましたが、実は昭和五十一年(1976)に復元したものだとか。
贄川関所は明治二年(1869)に閉所となり、その時に建物も取り壊されたようです。
立て看板によると、「明治九年の贄川村誌の『古関図』や寛文年間の『関所番所配置図』によリ現在の位置に復元した」とあります。
元あった場所は、いま線路になっている所だということです。
贄川宿にも寄り道したい衝動を必死にこらえて、奈良井宿へやってきました。
グンブロガー・風子さんの記事を見て、一度見てみたいと思っていた「木曽の大橋」は、そりゃ素晴らしい橋でした。
この橋を見たら、誰でもきっとこのアングルから撮りたくなると思います。
「木曽の大橋」のすぐ傍にあるこの建物、小さな旅籠のような風情ですが、「檜乃香和家」(ひのきのかわや)と書いてあります。
「かわや(厠)」、トイレだったんですね。
すきだなぁ、こういうの。
水路にもなっている線路下の地下道を潜ると、奈良井宿の北の端に出ます。
そこに、贄川駅と同じ趣きの奈良井駅がありました。
いいなぁ。

「おひさま」で、陽子と真知子と育子が松本へ映画を見に行く時、待ち合わせの場所にしたという「二百地蔵」へ行ってみました。
お地蔵様が二百体並んでいるのかと思ったら、並んでいるのは観音像で、その場所が地蔵堂前だったということなんですね。
下り路で、またこんなのを見つけました。
「音入」って書いてあります。
「おトイレ」なんでしょうね。
すきなんですってば、こういうの。
宿場はもう「おひさま」だらけです。
「おひさま」だらけの割には、雨傘を売ってるお店が多かったってのも面白いですが。

しもた屋にも屋号の札が掛けられ、夫々の家がちょっと目を引くものを飾り付けていて、「あぁ、町がひとつになってるんだなぁ」と感じさせます。

消火栓ボックスも、景観を壊さぬような配慮をしています。
ただ、「惜しいなー!」と思ったのがこれです。↓

空き缶入れはちゃんと木箱になっているのに、自販機が・・・。
メーカーの気配りで茶色にでもしてくれたらよかったのになぁ、なんて。
「おひさま」で、飴屋・村上堂として使われた、元櫛問屋・中村利兵衛の家です。
天保八年(1837)の大火後に建築されたという、歴史ある建物です。
実はこの建物が、今の奈良井宿を整備するきっかけになったのだそうです。
昭和四十四年(1969)、中村邸の建物を川崎の「日本民家園」へ移築するという話が持ち上がり、その問題を契機に地域住民の町並み保存に対する関心が高まって、重要伝統的建造物保存地区の選定を受けるまでになったというのです。
この素敵な町並みも、ただ昔の建物が残っていたから、というだけではなかったのですね。
その建物をスポットではなく、線にし、面にする努力がなければ町並みにはなりません。

地域の人々の熱い思いがひとつにならなければ、朽ちて行くのをただ待つだけの町になってしまいます。

お蕎麦屋さんか農産物直売所かと思いきや、これがなんと!中央本線贄川(にえかわ)駅でした。

こちらは、贄川駅のトイレです。→
贄川駅は、昭和六十二年(1987)の国鉄民営化前に既に無人駅になっていたようですが、このトイレが今の姿に改修されたのは昨年だそうです。
塩尻の観光ガイドマップの表紙には「街道ロマン探訪の旅」とあり、中には「歴史と文化が交差する宿場町探訪」と書いてあります。
観光のコンセプトを歴史街道「木曽路」に絞って、それに相応しい沿線整備に力を入れているのでしょう。
これからの地方都市は、「歴史」をキーワードとした「観光」に力を入れることが大切だと思います。
そこに気付かないと、どんどん水を開けられてしまいそうな気がします。


建物の風合いや石の載った屋根などを見ると、よく残しておいたものだなぁと思いましたが、実は昭和五十一年(1976)に復元したものだとか。
贄川関所は明治二年(1869)に閉所となり、その時に建物も取り壊されたようです。
立て看板によると、「明治九年の贄川村誌の『古関図』や寛文年間の『関所番所配置図』によリ現在の位置に復元した」とあります。
元あった場所は、いま線路になっている所だということです。

グンブロガー・風子さんの記事を見て、一度見てみたいと思っていた「木曽の大橋」は、そりゃ素晴らしい橋でした。
この橋を見たら、誰でもきっとこのアングルから撮りたくなると思います。

「かわや(厠)」、トイレだったんですね。
すきだなぁ、こういうの。

そこに、贄川駅と同じ趣きの奈良井駅がありました。
いいなぁ。

「おひさま」で、陽子と真知子と育子が松本へ映画を見に行く時、待ち合わせの場所にしたという「二百地蔵」へ行ってみました。

下り路で、またこんなのを見つけました。
「音入」って書いてあります。
「おトイレ」なんでしょうね。
すきなんですってば、こういうの。

「おひさま」だらけの割には、雨傘を売ってるお店が多かったってのも面白いですが。

しもた屋にも屋号の札が掛けられ、夫々の家がちょっと目を引くものを飾り付けていて、「あぁ、町がひとつになってるんだなぁ」と感じさせます。

消火栓ボックスも、景観を壊さぬような配慮をしています。
ただ、「惜しいなー!」と思ったのがこれです。↓

空き缶入れはちゃんと木箱になっているのに、自販機が・・・。
メーカーの気配りで茶色にでもしてくれたらよかったのになぁ、なんて。

天保八年(1837)の大火後に建築されたという、歴史ある建物です。
実はこの建物が、今の奈良井宿を整備するきっかけになったのだそうです。
昭和四十四年(1969)、中村邸の建物を川崎の「日本民家園」へ移築するという話が持ち上がり、その問題を契機に地域住民の町並み保存に対する関心が高まって、重要伝統的建造物保存地区の選定を受けるまでになったというのです。

その建物をスポットではなく、線にし、面にする努力がなければ町並みにはなりません。

地域の人々の熱い思いがひとつにならなければ、朽ちて行くのをただ待つだけの町になってしまいます。
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「奈良井宿保存委員会」発行のマップに書かれている最後の言葉が、なぜか私の心に響きました。