2011年07月30日

木落とし坂へ行ってました

信州ネタに戻ります。下諏訪宿の続きです。

木落とし坂へ行ってました諏訪へ来て諏訪大社を見なくちゃ、というので下社秋宮へ。

凛とした空気の中、朝のお勤めの太鼓の音が響いていました。

木落とし坂へ行ってました

諏訪の精密機械工業を代表する企業、三協精機(私の年代ではこの社名の方が馴染みがあります)製の、木落しのからくり「オルゴール塔」がありました。

動くのを待ちきれずにその場を離れてしまいましたが、ユーチューブに動画をUPしている方がいらっしゃいました。
ほ~、こんな風に動くのですね。


木落とし坂へ行ってました境内に入って正面の神楽殿を見た時、一瞬、どうなっているのか理解するのに少し時間がかかりました。

「あーっ、工事足場のシートに実物大(たぶん)の写真がプリントしてあるんだ!」ってわかった時は、本当に感激しました!

この神楽殿は天保六年(1835)に造られたもので、平成二十一年(2009)から2年がかりの大修理中なんだそうです。

すごいなぁと思ったのは、修理前の調査で銅板葺の屋根裏を調査したところ古い板が残っており、建設当初は椹(さわら)材を使った杮(こけら)葺きだったことが分かったので、杮葺きに戻すことにしたというのです。
この、こだわりがすごいじゃないですか。

工事用シートの巨大プリントも、修理中に訪れた人ががっかりしないように、そして景観を損なわないようにとの心配りなんでしょう。
下諏訪宿中山道を歩きながら感じていた「おもてなしの心」が、ここまで行き届いているとは!

それで思い出したのが、わが高崎城址この景観です。
えらい違いですなぁ。
これはいけませんよ、これは。

木落とし坂へ行ってました「旦過の湯」の近くに、岡本太郎画伯の書で「万治の石佛」と刻まれた石碑がありました。

画伯が、「こんな面白いもの見たことない。」と絶賛したんだそうですね。

見てみたいものの一つでした。

木落とし坂へ行ってましたで、行ってみました。

万治という人が彫った石仏なのかと思っていたら、万治三年(1660)に作られたからなんですね。

胴体とお顔のアンバランスさがユーモラスだということですが、お顔だけでも充分ユーモラスでした。

木落とし坂へ行ってました「万治の石仏」から砥川沿いに下りてくると、ここにも岡本画伯の「万治の石佛」碑がありました。

「旦過の湯」のところの石碑より、こちらの方が古そうな風合いですが、なぜ離れた場所に2つあるのか、その謂れは分かりません。
どなたか、ご存知の方はご教授ください。

木落とし坂へ行ってました春宮「御柱」です。

もっと、つるんとした木かと思っていたのですが、枝を落とした痕がゴツゴツと残っているんですね。

これを見たら、男たちが御柱に跨って転げ落ちる、あの坂も見たくなってきました。

木落とし坂へ行ってました春宮から2.7kmくらい車で走ると、TVでよく見るあの坂がありました。

「木落とし坂」というんですね。

木落とし坂へ行ってました

近くに「大山祇神」を祀った「木落社」というのがありましたが、「木落し」の度に新しい社殿を作って安全を祈願するのだそうですから、やっぱり危険な行事だということでしょう。

木落とし坂へ行ってました坂の上まで行って、その恐さを実感しました。
斜度45度、高さ100mだそうです。
「男見るなら 七年一度
    諏訪の木落し 坂落し」
とか。

あぁ、高崎に生まれてよかった・・・。





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Posted by 迷道院高崎 at 06:58
Comments(6)◆出・たかさき
この記事へのコメント
町内にお諏訪様があるので、諏訪のは思い入れがあります。
一度御柱祭見てみたいです。
温泉も良いですね~
Posted by 元氣が一番!  at 2011年07月30日 09:46
下社のあたりをウロウロしていたら、ちょうどオルゴールが鳴り始めたことを思い出して、懐かしくなりました。長閑でいいですね。
「木落とし坂」を見られるとは、知りませんでした。スキー場みたいですねぇ。
ところで、諏訪は街のいたるところに、大小さなざなまな御柱が飾られていました。お店やホテルの入り口、ロビーなど・・・
“何はなくとも御柱!”“御柱がすべて!”という感じで、ほほえましい街でした^^。
Posted by 風子風子  at 2011年07月30日 21:47
>元氣が一番!さん

新(あら)町のお諏訪様の社は、いい形してますよねー。
町の宝ですね。

下諏訪の町、私もすっかり気に入りました。
また行ってみたい町です。
高崎へ来た人も、そう言ってくれるかなぁ。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年07月30日 23:07
>風子さん

そうですか、生でお聞きになったんですね。
なんでも、3曲の違う曲が入ってるんだそうですね。

そうそう、そういえば御柱の輪切りになったやつ、私の泊った旅館の玄関にもありました!
「これぞわが町の」っていうのがある町は、団結力が強いですよね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年07月30日 23:19
マンホールも御柱ですよね。
Posted by 紫文  at 2011年07月31日 01:05
>紫文師匠

マンホール!!そうでしたね。

観光地にありがちな「御柱最中」や「御柱饅頭」は見かけませんでした。
さすがに畏れ多いんでしょうけど、御柱に凭れ掛かることなく、食い物にすることなく、本当に大切なものとして暮らしに根付いてるというところが、素晴らしいと思いました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2011年07月31日 08:50
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