信州ネタに戻ります。下諏訪宿の続きです。
諏訪へ来て諏訪大社を見なくちゃ、というので下社秋宮へ。
凛とした空気の中、朝のお勤めの太鼓の音が響いていました。
諏訪の精密機械工業を代表する企業、三協精機(私の年代ではこの社名の方が馴染みがあります)製の、木落しのからくり「オルゴール塔」がありました。
動くのを待ちきれずにその場を離れてしまいましたが、ユーチューブに動画をUPしている方がいらっしゃいました。
ほ~、こんな風に動くのですね。
境内に入って正面の神楽殿を見た時、一瞬、どうなっているのか理解するのに少し時間がかかりました。
「あーっ、工事足場のシートに実物大(たぶん)の写真がプリントしてあるんだ!」ってわかった時は、本当に感激しました!
この神楽殿は天保六年(1835)に造られたもので、平成二十一年(2009)から2年がかりの大修理中なんだそうです。
すごいなぁと思ったのは、修理前の調査で銅板葺の屋根裏を調査したところ古い板が残っており、建設当初は椹(さわら)材を使った杮(こけら)葺きだったことが分かったので、杮葺きに戻すことにしたというのです。
この、こだわりがすごいじゃないですか。
工事用シートの巨大プリントも、修理中に訪れた人ががっかりしないように、そして景観を損なわないようにとの心配りなんでしょう。
下諏訪宿の中山道を歩きながら感じていた「おもてなしの心」が、ここまで行き届いているとは!
それで思い出したのが、わが高崎城址のこの景観です。
えらい違いですなぁ。
これはいけませんよ、これは。
「旦過の湯」の近くに、岡本太郎画伯の書で「万治の石佛」と刻まれた石碑がありました。
画伯が、「こんな面白いもの見たことない。」と絶賛したんだそうですね。
見てみたいものの一つでした。
で、行ってみました。
万治という人が彫った石仏なのかと思っていたら、万治三年(1660)に作られたからなんですね。
胴体とお顔のアンバランスさがユーモラスだということですが、お顔だけでも充分ユーモラスでした。
「万治の石仏」から砥川沿いに下りてくると、ここにも岡本画伯の「万治の石佛」碑がありました。
「旦過の湯」のところの石碑より、こちらの方が古そうな風合いですが、なぜ離れた場所に2つあるのか、その謂れは分かりません。
どなたか、ご存知の方はご教授ください。
春宮の「御柱」です。
もっと、つるんとした木かと思っていたのですが、枝を落とした痕がゴツゴツと残っているんですね。
これを見たら、男たちが御柱に跨って転げ落ちる、あの坂も見たくなってきました。
春宮から2.7kmくらい車で走ると、TVでよく見るあの坂がありました。
「木落とし坂」というんですね。
近くに「大山祇神」を祀った「木落社」というのがありましたが、「木落し」の度に新しい社殿を作って安全を祈願するのだそうですから、やっぱり危険な行事だということでしょう。
坂の上まで行って、その恐さを実感しました。
斜度45度、高さ100mだそうです。
「男見るなら 七年一度
諏訪の木落し 坂落し」とか。
あぁ、高崎に生まれてよかった・・・。
諏訪へ来て諏訪大社を見なくちゃ、というので下社秋宮へ。
凛とした空気の中、朝のお勤めの太鼓の音が響いていました。
諏訪の精密機械工業を代表する企業、三協精機(私の年代ではこの社名の方が馴染みがあります)製の、木落しのからくり「オルゴール塔」がありました。
動くのを待ちきれずにその場を離れてしまいましたが、ユーチューブに動画をUPしている方がいらっしゃいました。
ほ~、こんな風に動くのですね。
境内に入って正面の神楽殿を見た時、一瞬、どうなっているのか理解するのに少し時間がかかりました。
「あーっ、工事足場のシートに実物大(たぶん)の写真がプリントしてあるんだ!」ってわかった時は、本当に感激しました!
この神楽殿は天保六年(1835)に造られたもので、平成二十一年(2009)から2年がかりの大修理中なんだそうです。
すごいなぁと思ったのは、修理前の調査で銅板葺の屋根裏を調査したところ古い板が残っており、建設当初は椹(さわら)材を使った杮(こけら)葺きだったことが分かったので、杮葺きに戻すことにしたというのです。
この、こだわりがすごいじゃないですか。
工事用シートの巨大プリントも、修理中に訪れた人ががっかりしないように、そして景観を損なわないようにとの心配りなんでしょう。
下諏訪宿の中山道を歩きながら感じていた「おもてなしの心」が、ここまで行き届いているとは!
それで思い出したのが、わが高崎城址のこの景観です。
えらい違いですなぁ。
これはいけませんよ、これは。
「旦過の湯」の近くに、岡本太郎画伯の書で「万治の石佛」と刻まれた石碑がありました。
画伯が、「こんな面白いもの見たことない。」と絶賛したんだそうですね。
見てみたいものの一つでした。
で、行ってみました。
万治という人が彫った石仏なのかと思っていたら、万治三年(1660)に作られたからなんですね。
胴体とお顔のアンバランスさがユーモラスだということですが、お顔だけでも充分ユーモラスでした。
「万治の石仏」から砥川沿いに下りてくると、ここにも岡本画伯の「万治の石佛」碑がありました。
「旦過の湯」のところの石碑より、こちらの方が古そうな風合いですが、なぜ離れた場所に2つあるのか、その謂れは分かりません。
どなたか、ご存知の方はご教授ください。
春宮の「御柱」です。
もっと、つるんとした木かと思っていたのですが、枝を落とした痕がゴツゴツと残っているんですね。
これを見たら、男たちが御柱に跨って転げ落ちる、あの坂も見たくなってきました。
春宮から2.7kmくらい車で走ると、TVでよく見るあの坂がありました。
「木落とし坂」というんですね。
近くに「大山祇神」を祀った「木落社」というのがありましたが、「木落し」の度に新しい社殿を作って安全を祈願するのだそうですから、やっぱり危険な行事だということでしょう。
坂の上まで行って、その恐さを実感しました。
斜度45度、高さ100mだそうです。
「男見るなら 七年一度
諏訪の木落し 坂落し」とか。
あぁ、高崎に生まれてよかった・・・。