2010年04月16日

和風図書館

和風図書館常磐町「岡醤油醸造」の斜向かいにあります。

普通の民家に見えるこの家の母屋には1万4千冊の図書があり、一般の人が自由に閲覧・貸し出しをしてもらえます。

その他、別棟二棟の土蔵内には3万冊を超える蔵書があります。

和風図書館右の写真の煉瓦塀を見れば、
「あぁ、あそこか。」と分かる方も多いでしょう。

山田勝次郎とく夫妻が自宅に開設した、財団法人「山田文庫」です。

私はずっと、資産家の所有する図書を一般開放したのであろう位に思っていましたが、それはとんだ思い違いでした。

昭和四十九年(1974)発行の、「山田文庫」設立趣意書を見ると、県下学校の図書予算が僅かなために、児童生徒が充分な読書が出来ないことを憂いて、資金協力することを目的としています。
以来、平成十七年(2005)までの31年間で、250校に5千万円を超える助成をしたといいますから、凄いことです。

その資金として、当初は妻・とくさん名義の土地1300万円と預金50万円を基本財産として発足したそうです。
夫の勝次郎氏は「山田文庫」設立の8年後に逝去しますが、その遺言で、社長を務めた高崎倉庫(株)の持ち株と、常磐町の土地建物、合わせて1億100万円を「山田文庫」に寄付しました。
更に平成二年、とくさんが逝去した時にもその遺言で、飯塚町の土地と持ち株、合わせて1億2000万円を寄付しています。
また、高崎倉庫(株)への土地賃貸料まで、「山田文庫」に充てているのです。

ということで、当初は学校への図書購入助成事業だった訳で、ここが図書館として一般開放されたのは平成三年(1991)と、意外にも最近のことなのです。
その図書は、高崎倉庫(株)で社員向けに貸し出していた、勝次郎氏所蔵の本1000冊以上を移設したのだそうです。

「山田文庫」の存在をご存知の方でも、中まで入った方は案外少ないのではないでしょうか。
そういう私も、初めて中へ入りました。

和風図書館入り口から、というよりも庭から居間へという感じで中に入ると、これまた図書館というよりも事務所のような感じです。

大きな閲覧用のテーブルが置いてあって、ボランティアの女性がお茶まで入れて下さいます。

常連さんが来ると話が弾んで、サロンのようになるといいます。
こんな図書館があってもいいですよね。

和風図書館和風図書館でも、意外と本が少ないんだなと思っていたら、「奥にもありますからどうぞ。」と、案内して下さいました。
細い廊下を進むと、意外と奥が深く、迷路のようになった3つの部屋に、所狭しと本が並んでいました。

プロレタリア研究者であった勝次郎氏らしい図書も並んでいますし、鞍馬天狗の大ファンだったという勝次郎氏らしい本もあります。
和風図書館和風図書館和風図書館

蔵書に無くても、リクエストをすれば予算内で購入もして頂けるそうです。

まだお話ししたいことがあるのですが、長くなってしまいました。
次回、続編としてお話したいと思います。

(参考図書:「山田文庫三十年の歩み」)


【山田文庫】





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Posted by 迷道院高崎 at 07:14
Comments(19)高崎町なか
この記事へのコメント
数年前まで、よく本を借りにいきました。 
先生あがりの気さくな館長さんがいました。
茶室の周りの”シャガ”の花がきれいでした。
のどかな、雰囲気の文庫でした。 
Posted by 捨蚕捨蚕  at 2010年04月16日 08:47
素敵な図書館ですねぇ~。この煉瓦壁と山田文庫の名前、文化財紹介のHPで見たことがあります。
ふぅ~ん、そこにあったのですか・・・。
私財を投入して図書館を後世に残してくださった方がいるなんて、素晴らしいですよね。良いものに遭遇されましたね^^。

ところで、安中にもあったのです。
例の「有田屋」さんの三代目、湯浅治郎さんは新島襄に師事した方で、日本最初の図書館「便覧社」(図書3,000冊)を設立したそうです。現在は記念碑のみが残されていますが・・・。
山田文庫は現在も継続していることが、なんとも羨ましいところです。
Posted by 風子風子  at 2010年04月16日 09:08
迷道院様、大間々ご出張お疲れさまでした。
さて「山田文庫」知りませんでした!
社長さんの個人財産を処分してまで児童、社会に還元するなんて有り難いことです。
三度のメシより本が好きなムダ飯食い(女房の言葉)晴耕雨読が人生の目標なのだよ。(私の言葉)
の私の事、山田文庫訪ねてみたいです。迷道院様の写真によると古い本の蔵書もありそうですね。
Posted by 柏木沢の農家おじさん  at 2010年04月16日 17:52
K病院の駐車場の中央に
宿泊研修施設があります。
それが山田文庫の山田さんの
寄贈であると聞いていましたが
私設図書館は知りませんでした。
一度、お訪ねしたいと思います。
Posted by いちじん  at 2010年04月16日 18:10
知ってはいたのですが・・・閲覧できるとは知りませんでした、今度近所なので行きたいと思います
はじめてのところ
勇気がいるのです
Posted by キューピーキューピー  at 2010年04月16日 20:47
>捨蚕さん

流石!
既にご利用でしたか。
そうですね、長閑という言葉がぴったりくる、面白い図書館ですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月16日 22:54
>風子さん

そうでした、そうでした。
有田屋さんへ行った時、その記念碑見ました!
新島襄のお弟子さんだったんですね。

企業は社会の公器であるということが、当然のようになっていた時代なんですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月16日 23:00
>柏木沢の農家おじさん様

「晴耕雨読」、立派なことです!
私なんぞ、「晴遊雨遊」もいいとこで・・・。

山田夫妻はお子さんがいらっしゃらなかったので、県下の子どもたちのために本という資産を残したいと思ったようです。

今では手に入らない貴重な本もあるようですから、ぜひ、一度ご覧になってみてください。
月・火は休館です。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月16日 23:11
>いちじんさん

常磐町の自宅を財団法人としたことにより、とく夫人はそこに住めないというお達しがあったため、K病院院長の計らいで病院所有地に家を建てて引っ越したという話があります。
その家が、宿泊研修施設として使われているのかもしれませんね。

私は、そちらをまだ見てないので、今度行ってみたいと思っています。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月16日 23:35
>キューピーさん

お近くでしたら、ぜひ!
大丈夫です。
近所の家に、お茶を飲みに行くような感覚で行って見て下さい。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月16日 23:38
もう歴史になってしまいましたが、
1991年10月4~8日
高崎中央公民館で
高崎アウシュビッツ展を
開催しました。
予想以上の市民が来てくれたので
忘れられません。
その時、その準備会議を
この研修施設をお借りして
何度も行いました。
私にとって懐かしい施設です。
Posted by いちじん  at 2010年04月17日 08:16
>いちじんさん

あ、そうでしたかー。
後々まで、人々の役に立っている施設なんですね。
いちじんさんも、素晴らしい活動をされているんですね。
私の知らない所で、沢山の方々が大切な活動をされていて、頭が下がります。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2010年04月17日 11:19
表面ばかり見ている山田文庫ですね。勝次郎は婿です。山田庄吉が作った財産があったから、寄付も出来たのです。勝次郎は生産を一切してません
金のあるところに人は集まります。個人攻撃はできませんので、事実が間違っているところのみ記述します。はっきり言ってインテリごっこの人間の集まるところです。今願ってることは井上工業がヤクザに一瞬で潰されたように山田文庫が遣られない事です。その臭いがしてます。ヤクザの親分の女を妊娠させて相当金を取られた、今でも金をカツアゲされている噂。まさに金環食、回りはエセインテリ達の輝く集まり場所しかし中側は腐りきった真っ黒。真実が判ったら又コメント入れます。
Posted by yamaryuu  at 2020年06月23日 08:30
山田庄吉の庄吉は誤字でした。昌吉です。訂正します。
Posted by yamaryuu  at 2020年06月23日 15:31
>yamaryuuさん

コメントありがとうございます。
内情にお詳しいようですね。
私などは表面的なことしか知り得ませんが、その中から糧になるものを拾っていきたいと思っています。
もちろん、糧になるものは内面的な所にもあると思いますので、その様なお話をぜひご教示ください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年06月23日 19:45
>迷道院高崎様
ブログの中には書いたまま放置と言うのが多い中直ぐに返答され感服しております。「デジタルタツー」真実でない事が一度インターネットに書かれそれが消すことが難しい「刺青」のように真実かのように世間に刻印されてしまう。私が注意して居るインターネット上の表現としては、個人攻撃をしない、2チャンネルに書かれているような失礼な腹立たしい表現はしない、等々です。もし宜しければインターネット上表現の注意が有ればご教授お願い致します。芥川賞を取った石原燃さんが作品を書く時「目から鱗」に気を付けて居るそうです。歴史的作品書く場合「目から鱗落ちる」ほど徹底して調べる、すると全体像が見えてくると言って居ました。かつての館長真下先生、学陽書房の佐藤さん良い人ばかりでした。、決して私利私欲は無く、ましてや天下り先に山田文庫を利用するなんて考えは無い人達でした。沼賀先生が市長の時言っては、いけない事を言わなければと、残念です。本当に残念です。沼賀先生は良い人でした。ステージⅣの癌から生還した私ですが、いや、だからこそ今の山田文庫には放置してはならない事があるのです。まさに鬱勃状態です。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。私もブログを作りたいと考えております。
Posted by yamaryuu  at 2020年07月09日 00:09
>yamaryuuさん

そうですか、ブログを始められますか。
いろいろなご経験をお持ちの方とお見受けいたしますので、それこそ「目から鱗」のブログになることでしょう。

お身体ご自愛の上、ご活躍下さい。
楽しみにしております。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年07月09日 20:30
>迷道院高崎さん
五万石騒動から看板等ブログ凄いです。やっとPC教室へ行く程度の初心者ですが頑張ります。我が家に江戸から明治になった時武士の商法で薬屋が良いと言う事で漢方薬屋になった時の看板があります。中央に屋号が書いてあり周りを梅と鶯の彫刻があしらってあります。
□□の染物屋さんのお父さんは我が家の看板ご存知だと思います。4代前の爺さんの書いた根小屋戦争の高崎藩の兵士の絵巻物、その他メイドイン高崎さんの興味あるガラクタがあります。半日直ぐに疲れるので横に成っています。お時間がありますればおいで下さい。
 □田□□□□久
Posted by yamaryuu  at 2020年07月22日 15:24
>yamaryuuさん

個人名の部分は伏字にさせて頂きましたが、これでよろしいでしょうか。

yamaryuuさんの家には、貴重なものが残されているようですね。
機会ありましたら拝見させてください。

なお、コメントは投稿するとすぐ公開になってしまいますが、「オーナーへメッセージ」ですと公開はされませんので、そちらをご利用ください。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎  at 2020年07月22日 15:33
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