どぶのゴミのように、あっちへ引っ掛かり、こっちへ引っ掛かりしながら、ようやく足門町の「徳昌寺」にやってまいりました。
立派な山門が目に飛び込んできますが、その向こうに見える鐘楼は、さらに圧巻です。
入ってみると、鐘楼の前に「勤勉の碑」と刻まれた、石碑が建っています。
文字は、元内閣総理大臣・福田赳夫氏の書です。
福田赳夫元総理は足門の生まれですし、「徳昌寺」の宗派、真言宗豊山派の檀徒総代でもありました。
この立派な鐘楼の寄進者は、同じく足門出身で、福田赳夫元首相の秘書も務めたことのある、中沢勤氏です。
ゴルフや株をなさる方には、いろいろ思うところのある人物かも知れません。
鐘楼の作者は、昭和五十八年(1983)に厚労省の「卓越した技能者(通称:現代の名工)」に認定された、沼田市出身の宮大工・杉田大吉氏です。
鐘楼は、総高さ:約15m、総欅(けやき)造り。
梵鐘は、高さ:約2m、直径:0.9m、重量:1トン。
いったい、幾らぐらいするものなのか見当もつきませんが、昭和六十二年(1987)の完成ですから、ちょうどバブル期の始まり頃だった訳です。
中沢勤氏の寄進は鐘楼に留まらず、山門、土塀、水屋、日本庭園にまで及んでいます。
中沢勤氏は、バブル崩壊後の平成十四年(2002)に逝去、氏の創設したSTT開発(株)も同年民事再生手続きに入ります。
生者必滅、盛者必衰という言葉もありますが、波乱万丈の生涯といえましょう。
「徳昌寺」自身も、波乱の歴史があります。
かつては、徳川家代々の御朱印により、十一石一斗余の所領を持ち、租税も免除されて、不自由ない運営ができていたようですが、明治六年(1873)の火災で、堂宇伽藍を全て焼失してしまいます。
翌年、檀徒の肝煎りで仮本堂兼庫裡を建設し、手狭ながらも何とか凌いでいたといいます。
それでも、戦前までは大地主であり、上げ米や小作料でかなりの収入があったようですが、それを一変させたのは、昭和二十四年(1949)米国の占領政策として行なわれた、農地解放でした。
それ以降、布施や志納金に頼るしかなく、寺の運営は相当苦しい状態だったようです。
やむなく境内の一隅を使って貸住宅も営んでいましたが、昭和五十八年(1983)、居住者の不始末によりそれも全焼してしまいます。
その後の、中沢勤氏ら檀徒の人々による、昭和の大寄進だった訳です。
中沢勤氏の寄進による「勤勉の鐘」は、毎日4回、打ち鳴らされます。
その鐘の音は、まさに諸行無常の響きなのかも知れません。
立派な山門が目に飛び込んできますが、その向こうに見える鐘楼は、さらに圧巻です。
入ってみると、鐘楼の前に「勤勉の碑」と刻まれた、石碑が建っています。
文字は、元内閣総理大臣・福田赳夫氏の書です。
福田赳夫元総理は足門の生まれですし、「徳昌寺」の宗派、真言宗豊山派の檀徒総代でもありました。
この立派な鐘楼の寄進者は、同じく足門出身で、福田赳夫元首相の秘書も務めたことのある、中沢勤氏です。
ゴルフや株をなさる方には、いろいろ思うところのある人物かも知れません。
鐘楼の作者は、昭和五十八年(1983)に厚労省の「卓越した技能者(通称:現代の名工)」に認定された、沼田市出身の宮大工・杉田大吉氏です。
鐘楼は、総高さ:約15m、総欅(けやき)造り。
梵鐘は、高さ:約2m、直径:0.9m、重量:1トン。
いったい、幾らぐらいするものなのか見当もつきませんが、昭和六十二年(1987)の完成ですから、ちょうどバブル期の始まり頃だった訳です。
中沢勤氏の寄進は鐘楼に留まらず、山門、土塀、水屋、日本庭園にまで及んでいます。
中沢勤氏は、バブル崩壊後の平成十四年(2002)に逝去、氏の創設したSTT開発(株)も同年民事再生手続きに入ります。
生者必滅、盛者必衰という言葉もありますが、波乱万丈の生涯といえましょう。
「徳昌寺」自身も、波乱の歴史があります。
かつては、徳川家代々の御朱印により、十一石一斗余の所領を持ち、租税も免除されて、不自由ない運営ができていたようですが、明治六年(1873)の火災で、堂宇伽藍を全て焼失してしまいます。
翌年、檀徒の肝煎りで仮本堂兼庫裡を建設し、手狭ながらも何とか凌いでいたといいます。
それでも、戦前までは大地主であり、上げ米や小作料でかなりの収入があったようですが、それを一変させたのは、昭和二十四年(1949)米国の占領政策として行なわれた、農地解放でした。
それ以降、布施や志納金に頼るしかなく、寺の運営は相当苦しい状態だったようです。
やむなく境内の一隅を使って貸住宅も営んでいましたが、昭和五十八年(1983)、居住者の不始末によりそれも全焼してしまいます。
その後の、中沢勤氏ら檀徒の人々による、昭和の大寄進だった訳です。
中沢勤氏の寄進による「勤勉の鐘」は、毎日4回、打ち鳴らされます。
その鐘の音は、まさに諸行無常の響きなのかも知れません。
(参考図書:飯島富雄氏編「天王山薬師院 徳昌寺」)
【徳昌寺】