「高崎の散歩道 第六集」の中に、古城塁研究家・山崎一氏のこんなコラム記事がありました。
「三国街道が長野堰を渡る橋を大橋という。そこから北100mの東裏に藤森稲荷がある。
その側に榎の大きな切り株が残っている。
(途中略)
このお稲荷様はもと、大橋町の鎮守だったが、明治の神社合併で高崎神社に合祀され・・・」
ってことは、大橋町にはないんじゃん?
と思ったら、続けてこんな話も書かれていました。
「お社は無くなっても榎は亭々(ていてい)とそびえ枝を張り(略)
大正の半ばになると、榎の枯れ枝や落ち葉が容赦なくその下に住む人たちを悩まし、当時の区長は遂に意を決してこの木を切り倒すこととなった。」
ここからの話が面白いんです。
「やがて、木挽きが入って大鋸を入れ、一日の作業で根方にかなり深い切り込みができた。
ところがその夜、木挽きが頓死し、区長は俄かな眼病で失明寸前というありさまになった。
区長はおそれて作業を取りやめ、其の後、この木に手をふれるものは無くなった。
下に住んでいた殿塚という人がお社を再建し、お祭りも復興した。
終戦後になると、榎の大木はいつか切り倒され、今度はお社だけが残ることとなった。」
という訳で、再建されたという「藤森稲荷」と、切り倒されたという榎の「切り株」を探しに行ったのが、10月の初め頃でした。
手掛かりは「大橋の北100mの東裏」だったんですが、その辺りをいくら探してもそれらしいお稲荷さんは見つかりません。
飛び込んでお尋ねしたのが、「オランダコロッケ」で有名な平井精肉店さんです。
しかし、結果は残念でした。
「角の床屋さんの所にあったんだけどねぇ。
今は、何にもないんだよ。
何でも、小塙の方へ移したって。」
諦めきれずに、角のツバサ理容室へ行ってお伺いしてみました。
すると、奥様が、
「あー、あったんですよ。裏に。」
と、わざわざ案内して下さいました。
「ここなんですよ。」と案内されたのは、車2台が置ける程度の、何の変哲もない駐車場でした。
スペースからして、小さな石の祠程度だったのかな?と思ったのですが、奥様は、
「ここ(フェンスの辺り)に鳥居が建っていて、その向こうに水屋があって、あそこ(フェンスの向こうの自転車置き場辺り)にお社があったんです。」
と仰るので、そこそこの大きさの社だったようです。
大木だったという榎の切り株も、跡形もなくなっていました。
この日は、もう日が暮れ始めていたので、中途半端な気持ちのまま引き揚げてきました。
そして先日、ヤボ用が片付いてウズウズしていた気持ちに押されるように、藤森稲荷追跡を再開いたしました。
その話は、また次回!
「三国街道が長野堰を渡る橋を大橋という。そこから北100mの東裏に藤森稲荷がある。
その側に榎の大きな切り株が残っている。
(途中略)
このお稲荷様はもと、大橋町の鎮守だったが、明治の神社合併で高崎神社に合祀され・・・」
ってことは、大橋町にはないんじゃん?
と思ったら、続けてこんな話も書かれていました。
「お社は無くなっても榎は亭々(ていてい)とそびえ枝を張り(略)
大正の半ばになると、榎の枯れ枝や落ち葉が容赦なくその下に住む人たちを悩まし、当時の区長は遂に意を決してこの木を切り倒すこととなった。」
ここからの話が面白いんです。
「やがて、木挽きが入って大鋸を入れ、一日の作業で根方にかなり深い切り込みができた。
ところがその夜、木挽きが頓死し、区長は俄かな眼病で失明寸前というありさまになった。
区長はおそれて作業を取りやめ、其の後、この木に手をふれるものは無くなった。
下に住んでいた殿塚という人がお社を再建し、お祭りも復興した。
終戦後になると、榎の大木はいつか切り倒され、今度はお社だけが残ることとなった。」
という訳で、再建されたという「藤森稲荷」と、切り倒されたという榎の「切り株」を探しに行ったのが、10月の初め頃でした。
手掛かりは「大橋の北100mの東裏」だったんですが、その辺りをいくら探してもそれらしいお稲荷さんは見つかりません。
飛び込んでお尋ねしたのが、「オランダコロッケ」で有名な平井精肉店さんです。
しかし、結果は残念でした。
「角の床屋さんの所にあったんだけどねぇ。
今は、何にもないんだよ。
何でも、小塙の方へ移したって。」
諦めきれずに、角のツバサ理容室へ行ってお伺いしてみました。
すると、奥様が、
「あー、あったんですよ。裏に。」
と、わざわざ案内して下さいました。
「ここなんですよ。」と案内されたのは、車2台が置ける程度の、何の変哲もない駐車場でした。
スペースからして、小さな石の祠程度だったのかな?と思ったのですが、奥様は、
「ここ(フェンスの辺り)に鳥居が建っていて、その向こうに水屋があって、あそこ(フェンスの向こうの自転車置き場辺り)にお社があったんです。」
と仰るので、そこそこの大きさの社だったようです。
大木だったという榎の切り株も、跡形もなくなっていました。
この日は、もう日が暮れ始めていたので、中途半端な気持ちのまま引き揚げてきました。
そして先日、ヤボ用が片付いてウズウズしていた気持ちに押されるように、藤森稲荷追跡を再開いたしました。
その話は、また次回!
【オランダコロッケの平井精肉店】
【藤森稲荷のあった所】